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忘れ得ぬ風景

何かの拍子に、ふっと子供の頃――それこそ明確な記憶がある筈もないような、小さい時分のことを鮮明に思い出すことがあります。
それは遠い記憶の断片、懐かしい風景というよりは 路地に落ちていた綺麗などんぐりや石ころであったり、湿った土や草いきれの香りであったり・・・今よりずっと近くて身近にあった、地面からの情報が殆どを占めていたような気がするんです。
もちろん泥だらけになって遊ぶことも好きでしたし、色んなものを拾ってきたり 地べたに座り込んで飽きもせずアリの行列を眺めていたり (^^;)
よく転んで膝をすりむいたりもしましたが、とにかく地面が近かったという印象がありますね。

現在よりずっと沢山あった原っぱや 川縁の草むらに仰向けに寝そべって、青空や星空を眺めた記憶がある方も多いんじゃないでしょうか。
幼い頃は 特に自分より低い位置にある小さなものに興味を示すことの方が自然だからでしょうね、一気に視界が広がって 別世界へ来たような気分になったのを覚えています。
人間が普通に立っている時 空というものは頭上に広がっているという認識しかできないのですが、一旦寝そべると これが真正面に対峙することになります。
仰向けで力が抜けるせいなのか 引力もあまり感じなくなり、ずっとそうしているうちに 空の方が遥か眼下にあるような感覚にとらわれる瞬間があるんですね
空へ真っ逆様に落ちてゆきそうな気がして、ふと気付くと両手でしっかり草を握ってたりして (^^;)
そんな、他人にはわからない ちょっとしたスリルを味わうのも好きでしたが・・・今になって考えてみれば、それが自分の今居る地球というものを 初めて意識した瞬間だったのかも知れません。

学校で天体のことを学ぶようになってからは、夜空の見え方も また少し変わりました。
天の川も 文字通り大きな星の川のように思っていましたが・・・実は平べったい渦巻きの大銀河、その一番外側の端っこから見てるのか~、と 妙に実感しすぎて ちょっと怖くなったことがありました。
一瞬ですが 自分が一人だけ宇宙空間に居て、銀河系全体を見渡しているような気分になってしまったんですね。
「銀河鉄道の夜」 を書いた宮沢賢治も、もしかすると毎晩 夜空をこんな風に眺めていたのかもしれないな~、なんて ふと思ったりします。

 天の川

暫く星や宇宙の話が続きましたので、ついでにここで 人生の中でも最も印象的だった夜空の話をひとつ・・・
あれは今を去ること30数年前、僕が初めて南アメリカの地に足を踏み入れた時のこと。
まだスペイン語もおぼつかない学生の僕は、無謀にもリュックひとつで 単身アンデス山脈を放浪していました
明確な予定も大した予算もなく、訪れた地方の音楽を現地採取したり そこで購入した楽器でライヴに飛び入り参加させて貰ったりしながらの、ホントに行き当たりばったりの旅でしたね
旅行会社に保険を断られたり、途中のアンデス越えでは 『ここからは山賊が出るから、コレ持って行きな』 と安いリボルバーを売りつけられたり・・・今になって考えてみれば、よく何事もなく日本に戻って来られたもんです

ペルーでの想い出深い旅を終えた僕は、インカ帝国の首都でもあった古い街クスコから 高原列車に揺られてボリビアとの国境へと向かいました。
朝の7時に出発した列車が 延々と続くアンデスの風景の中 3000m以上の山麓を登ってゆき、チチカカ湖半の街プーノへ到着するのは午後8時。
終点のターミナルだというのに、既に辺りは真の暗闇で人通りも途絶え お店や人家の明かりどころか街灯の光すら見えません。
そんな中 殆ど手探り状態で辿り着いたのは、チチカカ湖を渡る小さなフェリー乗り場でした。
広大な湖のちょうど真ん中あたりにペルーとボリビアの国境があって、船に乗ったままそこを通過するんですが・・・それにまた一晩かかるんですよね
泊まっているホテルがそのまま移動してくれて 朝には自動的にボリビアへ入国できているという訳ですから、まぁ楽といえば楽なんですけど。

出港時間までは特にすることもなく 周りを散策しようにも真っ暗で何も無いので、アンデスの夜の空気でも吸うか・・・とチチカカ湖畔へ出てみることにしました。
明日はいよいよボリビアか~、と 水平線の彼方に視線を移した時、目にしたのは―――この世のものとは思えない程の、想像を絶する星空でした。
アンデスの薄い空気の中、またたきを止め輝きを増した星々が夜空を埋め尽くす その密度たるや・・・夜空の黒い部分の方が少ない、と感じてしまうほどです
地球上に居る限り これ以上は望めない位に澄んだ星空ですので、さぞや慣れ親しんだ星座もクリアに見えるだろうと思いきや・・・あまりに星の数が多過ぎて 逆に何処にあるのやら、さっぱり (^^;)
圧倒されるほどのスケールで 天の川が背中の地平線から立ち上がり、頭上を満天に輝きながら 巨大な弧を描いてチチカカの水平線へと降りてゆきます。
それだけでも生まれて初めて目にする凄い光景ですが、更に壮大な銀河は鏡のような湖面に映りこんで 僕が立っている足元の波打ち際まで・・・ 

チチカカ星空


星空、というより まるで自分が星々に囲まれて 広大な宇宙空間に浮かんでいるような、何とも不思議な体験でした。
あれはもう 二度と巡り逢えないかも知れない、一生忘れることの出来ない光景ですが・・・たとえCGを駆使して再現映像を作った処で、とても半分も伝え切れないのが残念でなりません
文章だけでは尚更ですけど・・・上の写真は 少~しイメージに近いかな、というのを探してみました。
世界遺産のマチュピチュやチチカカに浮かぶウロス島と共に プーノの街も観光拠点へと変わり、この30年で随分発展したと聞いています。
遠いチチカカの湖畔に、まだあの風景は存在しているんでしょうか・・・

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南米・遺跡

食いしん坊バンザイ!

外国を旅する時に一番好みと意見が分かれてしまうのは、「食」に関することだと言われています。
全く違う環境や気候の中に放り込まれても けっこう平気、馴染みのない習慣・言葉などにも割とすぐ順応できるという方は結構いらっっしゃいますが・・・
そんな中でも「食べ物だけはどうしても合わなくて困った」と訴える方が 意外と多いのに驚かされます。
根本的な民族アイデンティティーと 生命の維持にも関わってくるからなんでしょうか、毎日の食事となると 話は別になってくるのでしょうね。
まぁ確かに 住環境や衣服以上に、普段から一番個人の嗜好が強く顕れるのが食事ですから

僕は有難いことに食べ物に関しては好き嫌いもなく、大概のものは平気・・・というより、異国に身をおいている事を何よりも実感できて楽しいのが「食べること」なんです
オーストラリアだけは「ダダ甘い」味付けの連続に少々閉口した記憶もありますが、南米・アラブ・ヨーロッパ・韓国と演奏旅行を重ねてきた中で共通しているのが 食事の量が驚異的に増えて太って帰ってきてしまうこと (^^;)
そのくらい、現地の食文化にハマって とことん楽しんでしまうんですね。
チャランゴ片手にアンデスを放浪していた頃、街角の食堂で一番よく食べていたのはこんな感じかな。

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もちろん自分の中でも好みの味というものはありますし、あまりにそれぞれの特徴が違うので比べようがないのですが・・・。
南米の場合は、一言で表すと 『大地の恵みがもたらす食材のパワー』 と言うことになるでしょうか。
例えば・・・貧乏人の僕が日本では到底口に出来ないような肉質の 厚さ3センチはあろうかという巨大ステーキが、定食程度の値段で毎日でも食べられたりするんです。
これは世界一の牛肉産出国アルゼンチンが近いお陰で、「母を訪ねて三千里」のマルコも通った大草原パンパの良質な牧草と安定した気候、そして地平線まで続くような 想像を絶する牧場の広さなしには語れない大地の恵みですね。

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もちろんコーヒーはブラジル・コロンビア・グァテマラと 名だたるブランドが目白押し。
フルーツ類も同様に、植民地時代のプランテーションによる産物だとはいえ 実に高品質で豊富な産出量を誇っています。
しかしながら これらは殆どが重要な輸出品ですので、アメリカ産のフルーツジュースや缶詰の方が 100%本物の絞りたてよりずっと高い、という逆転現象が起こったりもします。
パラグアイでは 評判のカフェがあると聞いて行ってみたら、ネスカフェの大瓶とポットに入ったお湯をドカっとテーブルに置かれて目が点になったことがありました。
「高級輸入品のネスカフェを 好きなだけ淹れて飲んでくれ」 という大盤振る舞いのサービス店だった訳ですが・・・あんまり嬉しくないですよね(^^;)

そして南米で本当に一番素晴らしい食材は、実は野菜なんです。
特にジャガイモに関しては、さすが原産国!!と納得してしまう 素晴らしいクォリティを誇っています。
日本で口に出来るジャガイモの種類は男爵やメークインなど 多くても10種ほどですが、ペルーの市場で売られているその数たるや 常時400種というから驚き
北海道に行った時にも ジャガイモの味の濃厚さと香りの良さには感激したものですが、初めてペルーで本場物を食べた時には その数倍の美味さに絶句するしかありませんでした☆

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他にもトウモロコシ、トマト、かぼちゃ、ピーナッツ、唐辛子・・・これ全て アンデスが原産
ヨーロッパ勢力の侵攻によって これらが世界に広まったのは、インカ帝国が滅亡した後のことです。
考えてみれば不思議なんですが・・・僅か500年前 インドのカレーは少しも辛くなく、イタリアのパスタにもトマトソースは存在しなかったということになりますね。
南北6000Kmに及ぶ広大な地域と 様々な古代文明を築いてきた20以上の民族を従えたインカ帝国は、これら作物の原種を研究改良し安定した収穫を実現したことで 現実的な統合支配を可能にしたと言われています。
やっぱし・・・優れた芸術も軍事力も、結局食いモノには勝てないってことでしょか
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南米・遺跡

BANDERA MIA

スペイン語で 「私の旗」 ・・・偶然と呼ぶか奇しくもと言うべきか、小学5年生でアルゼンチンのアーティストとの関わりを持った僕が トランペットを手に彼らと初めて演奏したのがこの曲でした。
ちょうど国旗について考えていた処でもありましたし、今の僕にとって 旗印というのが何かの啓示なのかもしれません。
実はこういうこと、昔から割とよくあるんです
何かに興味を持った途端 全く関係のない所から案内が届いたり本を頂いたり、TVで特集番組が組まれていたり。
母親がクモ膜下で倒れた時には その1週間ほど前に最先端脳外科手術のドキュメンタリーを偶然観ていたという 逆パターンもありましたが・・・。
特にアクションを起こさなくても、必要な情報が 偶然の範疇を遥かに超えて集中したりすることがあります。
まぁ、だからってそれが何か役に立つ結果を 必ずもたらすって訳でもないんですけどね

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これはペルーの首都・リマの中心にあり 中世ヨーロッパ風の市庁舎などが林立する 「アルマス広場」 の光景。
「それじゃ明日、この旗の下で3時にね」と、褐色の肌にビビッドオレンジのワンピースがよく似合う可愛いリマ娘 エスペランサと約束したことを思い出します゜゜゜
いや、まぁそれはともかく・・・仲良く翻る2つの旗の奥側にあるのが、現在の公式ペルー国旗です。
そして手前のレインボーカラーの旗、これが “Tawantin Suyu (タワンティン・スージュ)” と呼ばれ 正式な国旗以上に親しまれ大切にされている、インカ帝国の旗なんですね。
有名な太陽の祭り 『インティライミ』 や独立記念日などには この旗が街中の至る処に掲げられ、その彩で祝賀ムードを高めてくれます。
虹の色にはそれぞれ清らかな水や光・大地といったエレメント、宇宙や時間理念までもが当てはめられ インカの世界観すべてが現されていると言われる 聖なる旗。
抜けるようなアンデスの碧空に 2つの旗が誇らしげに並ぶこの光景を初めて目にした時、ある種の感動を覚えたのを 今でも鮮明に記憶しています。

1533年、黄金を求めてやってきた僅かな数のスペイン人に インカ帝国はあっけなく征服され、滅亡してしまいます。
この 「インカ帝国」 というのは 征服した側の白人が用いた呼称ですので、誇り高き末裔達は 今でも決してその名前を使おうとはしません。
当時の公用語であったケチュア語で 「4つの世界」 を意味するタワンティン・スージュ―――これが帝国の正式名称ですが、聖なる旗には 同じ名が与えられている訳ですね。
様々な民族の連合国家であったインカ帝国、その中核を担う人々は 公用語が示すとおり現在のペルーを領土としていたケチュア族でした。
帝国の首都であり、様々な太陽神への祭事が行われていたクスコも やはりペルーにあります
それに対して軍事や楽隊など 実質的に帝国を支えていたと言われる第二勢力が、今のボリビアに住んでいたアイマラ族。
アルカディアのライヴで、いつもケーナ奏者の井上さんが拡げている あのモザイク模様の旗は “Wipara (ウィパラ)” と呼ばれ、このアイマラ族を表すものになります。

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同じくインカ帝国を象徴する旗ですが、当然ながらボリビアでは このウィパラのほうが神聖な旗印として大切にされてきた訳ですね
アンデスを代表する国同士でも、ペルーとボリビアでは 民族性と共にその印象もかなり異なっています。
ケーナだけを見ても、ボリビア製のものが材質も太く重く 力強い高音を得意とするのに対して、ペルーのケーナは薄く軽く 何処か哀愁を帯びた音色を出します。
これはあくまで私見ですが、ちょうどインカ帝国での役割がそのまま続いているような感じ・・・ボリビアが押しの強い武士社会なのに対して ペルーは貴族・神官階級といった印象を受けます。
日本の古都に例えると “商売や見せ方が巧い京都” 的なボリビア、片や “奇をてらわずどっしりとした歴史を見せ付ける奈良” のようなペルー、って感じでしょうか (^^;)

インカ帝国が滅亡してから既に500年近く、キリスト教やスペイン語を始めとして 実に様々な変化が南米にはもたらされてきました。
長年に亘る植民地化により ヨーロッパ人との混血も進み、ペルーではその 「メスティーソ」 と呼ばれる人々が人口の半分以上を占めるまでになっています。
歴史的な確執と共に 白人やその血を引いたメスティーソが社会的な優遇を受けるなど、民族的な問題も抱えてきた国ではありますが・・・
それだけに、国際的に正式とされる国旗とネイティヴ (一般的にはインディオと呼ばれる人々ですが、蔑称とされる場合もあります) の民族の魂とも言える旗がどちらも大切にされ 仲良く並んで首都の中央広場に翻っている様は、とても晴れやかで力強い印象を受けました。
混血ではあったけれど、明らかにネイテイヴの血を 色濃く引いていた褐色のエスペランサ。
彼女が 「この旗の下でね」 と言ったのには、インカの末裔としてこの国を見せたい、という誇りも ちょっと含まれていたのかも知れないなぁ・・・なんて、今になって思ったりします

これが “BANDERA MIA” だと胸を張って言える旗があるって、少し羨ましくはありませんか?
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南米・遺跡

世を忍ぶ仮の姿

・・・なんて大袈裟なもんじゃありませんけど (^‐^;)

こういうblogのコメントや ネット上の書き込みには、本名を明かす事が憚られたり 場所によってはプライバシーに関わる危険性が伴ったりもします。
そこで皆さん 「仮の名前」 を使ってやり取りする事になる訳ですが・・・その時に使われるニックネームをHN、ハンドルネームと言います。
昔のラジオなんかで言うところの 「ペンネーム」 ってやつですよね (なつかし~
スパイ映画だったら もっとカッコ良く 「コードネーム」 となるところ。

僕がいつも使っている 「インティワタナ」 という名前について、それ何語なのとか どういう意味のある言葉なんですかという質問を複数の方から頂きましたので、ちょこっとご説明をば


今を去ることン十年前の学生時代 (隠さんでも皆さんご存知ですけど) 僕は単身憧れの南アメリカへ渡り、土着の音楽や楽器の勉強をしながら アンデス山脈を放浪しておりました。
公用語であるスペイン語を学ぶ為に大学に通っていたのですが、その時はまだ現在形のカケラしか習っておらず 喋れるというには程遠い段階 (しかも文法の勉強がキライで、成績悪し
出来る限り安いルートで各国を回る必要性から、頭とお尻だけ別々のツアーに参加する形にして 実の内容は飛行機の割安チケットだけ、という旅でした。
「まぁ、何とかしますけど・・・コレ旅行保険も降りないし、何処で行方不明になっても 捜索して貰えませんよ」 (旅行社・談)
泊まる場所も街に着いてから日暮れまでに探すような 出たとこ勝負の旅ですし、考えてみたらムチャクチャなんですけどね~ (^^;)
その武者修行時代の話も、また機会があったら載せるつもりにはしていますが・・・。

現地でオミヤゲも兼ねた安い楽器を購入し、知り合ったミュージシャン達とその場で演奏を重ねながら 結局アルゼンチンからメキシコまで南米大陸7000kmを 数ヶ月かけて縦断することになりました。
一番行きたかった国は、やはりペルーですね
インカ帝国の中心地だったこともあり、古い風習や伝説の残る フォルクローレの故郷とも呼べる国です。
アンデス山脈のそこかしこに 謎めいた遺跡群が点在し、空気の薄い群青の空には 話にしか聞いた事のなかった、威厳に満ちたコンドルの勇姿が
そりゃテンションも最高潮になりますってば

ひとつ不思議だったのは 現地で知り合った人にワタナベです、と自己紹介をすると 「あ~インティワタナだね」 と必ず言われていた事。
いつの間にか、仲間内での通り名もインティワタナ・・・しかも別の街へ行っても、そのアダ名になるのだけは 何故か変わりませんでした。

ペルーは世界遺産の宝庫とも呼ばれていますが、中でも一番有名なのが 幻の空中都市・マチュピチュの遺跡。
アンデス山脈の只中、約2000mの尾根に 山裾からではどの角度から見ても 存在が確認できないような、不思議な場所に拡がる インカ帝国最後期の巨大都市です。
そのマチュピチュ全体を見渡せる頂に、未だ用途が解明されていない 何とも奇妙な形をした岩があります。

インティワタナ 2


随分後になって知ったのですが、実はこの岩の名前こそが 「インティワタナ」 だったんですね。
そりゃみんな知ってる訳だ・・・

インカ帝国の公用語でもあったケチュア語で “太陽を縛る者”、或いは “太陽を繋ぐ場所” という意味になりますが、万物の創造主であった太陽神に関する 何らかの祭祀が行われたのではないか、という仮説がある以外、詳しい事は何ひとつ判っていません。
実用的な日時計説も論拠が薄く、おそらくはインカ皇帝が直々に 重要な儀式のようなものを執り行っていた神聖な場所であろうというのが現在では定説になっています。
少々畏れ多いような気もしますが、懐かしい友達がつけてくれたニックネームでもありますし、それ依頼 ずっと大切に使わせて貰ってます
(う~む、どこが “ちょこっとご説明” なんだか・・・
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南米・遺跡