ヒロシマ原爆の日
- 2015⁄08⁄06(木)
- 02:25
昭和20年8月6日 午前8時15分。
広島の中心地に人類史上初めての核爆弾が投下されてから 70年が経ちました。
もちろん僕はまだ生まれていませんでしたし、実際の被害どころか 戦争の何たるかすら知りません。
でも考えてみれば 非常に微妙な年代であると言えなくもないんです
僕が生まれたのは日本が高度成長期に向かう 平和な時代であるとは言え、終戦から僅か13年しか経っていません★
13年前といえば本当に 『ついこの間』 の話ですし、実際僕が小さい頃には阪急電車の駅前で 傷痍軍人の方が物乞いに身を窶しておられる姿がまだ見られました。
ボロボロの軍服を着た片足の無い人が 松葉杖を脇に置いて道行く人に土下座をしている姿は、子供だった僕には気味の悪い存在でしかありませんでしたが・・・
今になって思うと 何と酷い話なんだろう、と心が痛くなります
昨年無くなった父も たまたま学徒出陣の年齢には達していなかったというだけの話で、もう少し戦争が長引けば 南太平洋でアメリカの艦船に突っ込んでいたかも知れません。
そうなれば当然 僕も存在しなかった訳ですから、過去の戦争と言うには余りに身近に思えてしまうんですね。
少年キングとか少年ジャンプなどのマンガ雑誌も 平和の象徴のように全盛期を迎えていましたが、ギャグ漫画と肩を並べていたのは 「ゼロ戦隼人」 や 「紫電改のタカ」 といった戦争ヒーロー物でした。
今なら “歴史の歪曲、戦争礼賛である” と韓国や中国が言い出す前に 発禁処分になるところですが・・・
もうひとつ 身近に思えてしまう大きな要因は、渡部家の墓が広島の中心部にあるということかも知れません。
以前にも一度ブログに上げましたが、爆心地の原爆ドームから歩いて数分と言う場所にありますので 熱線と爆風で墓石がボロボロの状態でした
検事であった祖父は 日本中を点々とする生活を送っていましたので、幸い―――というと何ですが 当時広島には居なかったんですね。
今でも墓参りで広島に赴くたび、街中を流れる涼しげな川が 全身焼け爛れながら水を求める人々や、累々たる死体で埋め尽くされていた事に思いを馳せてしまいます。
具体的に何を知っているわけでもありませんが、美しく整備された広島の街は 僕にとって死というものと直結した場所なんです。
原爆ドームに隣接した平和記念公園の中心には、こう書かれた石碑が立っています。
『安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませんから』
一時はこの文章の主語を巡って 論争が巻き起こったこともありますね。
禁断の兵器、原爆を使ってこの事態を引き起こしたのはアメリカじゃないか、と言いたい人も中には居るのでしょうけど・・・
確かに戦争末期、アメリカも人間として正常な判断力を失っていた事は確かでしょう。
一瞬で14万人の命を奪ってしまう まさに悪魔の兵器と呼べる爆弾の使用を実行したばかりでなく、広島ではウラン型・長崎ではプルトニウム型で威力を試すという 究極の人体実験までやってしまったんですから。
でも日本だって―――実はその原爆を作ろうと必死になっていたんですよね★
単に研究開発で遅れを取っただけで、日本の方が早ければ使っていたのはこちらの方かも知れないという事実は あまり語られてきませんでした。
当時原爆の研究を任されていたのは 理化学研究所。
あの理系女子の小保方さんだって、世が世ならアメリカ市民の上に落とす原爆の研究をしていたかも知れないんです。
実際に計画があったわけでは勿論ありませんが、当時世界最大・最先端の潜水空母 “伊400” 搭載の特殊攻撃機 『晴嵐』 に もし配備されていれば、決して有り得ない話ではありませんでした。
超巨大潜水艦 伊400は実際にアメリカ西海岸を砲撃できた唯一の艦船でしたし、パナマ運河を破壊するという極秘計画とその能力もありましたから。
要は経済的な物量と時間の差でしかなかった訳ですね
長々と書いてしまいましたが・・・
今日8月6日は、原爆の犠牲者を悼む日でもなく 悪魔の兵器を使用したアメリカを責める日でもなく、単純に戦争反対を叫ぶ日でもありません。
人間というものが如何に儚く愚かで 過ちを繰り返してしまう危険性を持った存在なのか、世界中で改めて認識すべき日なのだと思います。
広島の中心地に人類史上初めての核爆弾が投下されてから 70年が経ちました。
もちろん僕はまだ生まれていませんでしたし、実際の被害どころか 戦争の何たるかすら知りません。
でも考えてみれば 非常に微妙な年代であると言えなくもないんです

僕が生まれたのは日本が高度成長期に向かう 平和な時代であるとは言え、終戦から僅か13年しか経っていません★
13年前といえば本当に 『ついこの間』 の話ですし、実際僕が小さい頃には阪急電車の駅前で 傷痍軍人の方が物乞いに身を窶しておられる姿がまだ見られました。
ボロボロの軍服を着た片足の無い人が 松葉杖を脇に置いて道行く人に土下座をしている姿は、子供だった僕には気味の悪い存在でしかありませんでしたが・・・
今になって思うと 何と酷い話なんだろう、と心が痛くなります

昨年無くなった父も たまたま学徒出陣の年齢には達していなかったというだけの話で、もう少し戦争が長引けば 南太平洋でアメリカの艦船に突っ込んでいたかも知れません。
そうなれば当然 僕も存在しなかった訳ですから、過去の戦争と言うには余りに身近に思えてしまうんですね。
少年キングとか少年ジャンプなどのマンガ雑誌も 平和の象徴のように全盛期を迎えていましたが、ギャグ漫画と肩を並べていたのは 「ゼロ戦隼人」 や 「紫電改のタカ」 といった戦争ヒーロー物でした。
今なら “歴史の歪曲、戦争礼賛である” と韓国や中国が言い出す前に 発禁処分になるところですが・・・
もうひとつ 身近に思えてしまう大きな要因は、渡部家の墓が広島の中心部にあるということかも知れません。
以前にも一度ブログに上げましたが、爆心地の原爆ドームから歩いて数分と言う場所にありますので 熱線と爆風で墓石がボロボロの状態でした

検事であった祖父は 日本中を点々とする生活を送っていましたので、幸い―――というと何ですが 当時広島には居なかったんですね。
今でも墓参りで広島に赴くたび、街中を流れる涼しげな川が 全身焼け爛れながら水を求める人々や、累々たる死体で埋め尽くされていた事に思いを馳せてしまいます。
具体的に何を知っているわけでもありませんが、美しく整備された広島の街は 僕にとって死というものと直結した場所なんです。
原爆ドームに隣接した平和記念公園の中心には、こう書かれた石碑が立っています。
『安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませんから』
一時はこの文章の主語を巡って 論争が巻き起こったこともありますね。
禁断の兵器、原爆を使ってこの事態を引き起こしたのはアメリカじゃないか、と言いたい人も中には居るのでしょうけど・・・
確かに戦争末期、アメリカも人間として正常な判断力を失っていた事は確かでしょう。
一瞬で14万人の命を奪ってしまう まさに悪魔の兵器と呼べる爆弾の使用を実行したばかりでなく、広島ではウラン型・長崎ではプルトニウム型で威力を試すという 究極の人体実験までやってしまったんですから。
でも日本だって―――実はその原爆を作ろうと必死になっていたんですよね★
単に研究開発で遅れを取っただけで、日本の方が早ければ使っていたのはこちらの方かも知れないという事実は あまり語られてきませんでした。
当時原爆の研究を任されていたのは 理化学研究所。
あの理系女子の小保方さんだって、世が世ならアメリカ市民の上に落とす原爆の研究をしていたかも知れないんです。
実際に計画があったわけでは勿論ありませんが、当時世界最大・最先端の潜水空母 “伊400” 搭載の特殊攻撃機 『晴嵐』 に もし配備されていれば、決して有り得ない話ではありませんでした。
超巨大潜水艦 伊400は実際にアメリカ西海岸を砲撃できた唯一の艦船でしたし、パナマ運河を破壊するという極秘計画とその能力もありましたから。
要は経済的な物量と時間の差でしかなかった訳ですね

長々と書いてしまいましたが・・・
今日8月6日は、原爆の犠牲者を悼む日でもなく 悪魔の兵器を使用したアメリカを責める日でもなく、単純に戦争反対を叫ぶ日でもありません。
人間というものが如何に儚く愚かで 過ちを繰り返してしまう危険性を持った存在なのか、世界中で改めて認識すべき日なのだと思います。
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カリブ海の真珠 【2】
- 2015⁄07⁄31(金)
- 01:42
見事な大逆転で人民開放革命をやってのけたフィデルとチェでしたが、その後の国家再建には 茨の道が待っていました。
主要な産業も確立されていない状態で 国民を養っていかねばならないのですから、そりゃ大変なんてもんじゃありません
おまけに独立以来、アメリカ資本主義の庇護の下でとはいえ 何とか国家体制を維持してきたバチスタ政権を、その手で倒してしまったんですから・・・
つまりはアメリカ合衆国にも真っ向からケンカを売ってしまった格好で、莫大なお金が必要となる局面なのに 国際的にも孤立無援状態になってしまいます★
そこで手を差し伸べたのが、当時はまだアメリカと冷戦状態にあったソヴィエト連邦。
破格の安い値段で石油を提供し、サトウキビなどの農作物も高額で買い取るという この願ってもない条件を、キューバは社会主義体制国家になる事と引き換えに受諾してしまいます。
フィデルもチェも、最初から社会主義国家を目指していた訳ではないんです
これで国家体制は一応の安定を見せ、医療や教育・福祉などの充実にも理想と言われるほどの成功を果たします。
ソ連にしてみればもちろん親切心などではなく 素晴らしい社会主義体制をアメリカに見せ付けるチャンス、言わば目の前に豪華なショーケースを作りたかっただけの話なんですけどね。
当然ながら 面白くないのはアメリカ合衆国★
今まで散々支援してきた中南米支配の拠点を失った上に、一番近い場所―――まさに裏庭に社会主義国家が出来るなど、許せるものではありません。
中南米諸国への経済制裁の見せしめと対ソ連の牽制手段として 国交を断絶したばかりか、裏ではCIAが物騒な暗躍をすることになってゆきます。(尤も、このフィデル暗殺計画は 悉く失敗に終わりましたが)
つまりキューバは ベトナムや朝鮮半島と同じで、アメリカとソ連の覇権争いに利用されただけでした。
その睨み合いがピークに達したのが、全世界を震撼させた キューバ危機
だった訳ですね。
幸いにして核戦争の勃発だけは回避されましたが、あそこまで一触即発状態になったのは 人類史上初めてのことでした。
月日が経ちソ連社会主義は崩壊、東西冷戦という単語が過去のものになってからも キューバとの国交断絶と経済制裁は続きます。
日本のメディアでは報じられないので 殆ど知られていないのですが、同じ社会主義国家という立場で ソ連に変わって中南米への経済支援、武器供与などを継続的に行ってきたのは 実は中国なんです

過去には北朝鮮も、キューバに弾薬などの提供を行っていたことがあるんですが・・・中国はケタが違います。
ここ10年ほど中南米各国に無償の資金提供を続け、実効支配を強める傍ら つい最近キューバには石油と資金を援助する代わりに ミサイル搭載艦を常駐させる交渉までしていました。
オバマさんが慌てて国交正常化に向けた動きを見せ始めたのも、ちょうどその頃です。
大統領としての任期終了が迫る中でのレジェンド(実績)作りだと言われていますが、裏にはそんな事情もあった訳ですね★
誰が考えても、第二のキューバ危機になるのは目に見えていますから・・・
大国同士の勢力争いに利用されて巻き込まれ、その国の歴史まで変わってしまう。
古代から世界中で繰り返されてきた構図ですが・・・人間ってヤツはまったく、少しも進歩していないんですね~。
これは決して他人事じゃありません、敗戦後の日本が奇跡的な復興と発展を遂げられたのも 言ってみればアメリカ資本のお陰。
日本はソ連の目の前に飾られた、アメリカのショーケースでしかなかったのかも知れないんですから
世界中あちこちで紛争に首を突っ込むことに懲りたアメリカも、中国の横暴や今の国際情勢を受けて 再び目立つ外交に動き出さざるを得ませんでした。
まぁハッキリ言って、日本の安全とか拉致問題なんかは アメリカにとってどーでもいい事なんですよ。
北朝鮮との国交ですら、日本の意向は無視して 回復させる方向へ進む可能性が出てきてるんですから・・・
そんな中で 不自然に急がれている安保法案―――対中国でアメリカと日本の利害が一致しているうちはいいですが、各国の出方次第では 日本は確実に置いてけぼり、ヘタすりゃアメリカと中国 両方の踏み台にされちゃう事態だって考えられます。
何処か立場の似ているキューバと日本・・・既に遠いカリブ海のニュースでは済まなくなってきているのかも知れません★
今こそ、中南米諸国との絆が最重要課題になってくる! と思ったりもするんですケドね (-.-;)
主要な産業も確立されていない状態で 国民を養っていかねばならないのですから、そりゃ大変なんてもんじゃありません

おまけに独立以来、アメリカ資本主義の庇護の下でとはいえ 何とか国家体制を維持してきたバチスタ政権を、その手で倒してしまったんですから・・・
つまりはアメリカ合衆国にも真っ向からケンカを売ってしまった格好で、莫大なお金が必要となる局面なのに 国際的にも孤立無援状態になってしまいます★
そこで手を差し伸べたのが、当時はまだアメリカと冷戦状態にあったソヴィエト連邦。
破格の安い値段で石油を提供し、サトウキビなどの農作物も高額で買い取るという この願ってもない条件を、キューバは社会主義体制国家になる事と引き換えに受諾してしまいます。
フィデルもチェも、最初から社会主義国家を目指していた訳ではないんです

これで国家体制は一応の安定を見せ、医療や教育・福祉などの充実にも理想と言われるほどの成功を果たします。
ソ連にしてみればもちろん親切心などではなく 素晴らしい社会主義体制をアメリカに見せ付けるチャンス、言わば目の前に豪華なショーケースを作りたかっただけの話なんですけどね。
当然ながら 面白くないのはアメリカ合衆国★
今まで散々支援してきた中南米支配の拠点を失った上に、一番近い場所―――まさに裏庭に社会主義国家が出来るなど、許せるものではありません。
中南米諸国への経済制裁の見せしめと対ソ連の牽制手段として 国交を断絶したばかりか、裏ではCIAが物騒な暗躍をすることになってゆきます。(尤も、このフィデル暗殺計画は 悉く失敗に終わりましたが)
つまりキューバは ベトナムや朝鮮半島と同じで、アメリカとソ連の覇権争いに利用されただけでした。
その睨み合いがピークに達したのが、全世界を震撼させた キューバ危機

幸いにして核戦争の勃発だけは回避されましたが、あそこまで一触即発状態になったのは 人類史上初めてのことでした。
月日が経ちソ連社会主義は崩壊、東西冷戦という単語が過去のものになってからも キューバとの国交断絶と経済制裁は続きます。
日本のメディアでは報じられないので 殆ど知られていないのですが、同じ社会主義国家という立場で ソ連に変わって中南米への経済支援、武器供与などを継続的に行ってきたのは 実は中国なんです


過去には北朝鮮も、キューバに弾薬などの提供を行っていたことがあるんですが・・・中国はケタが違います。
ここ10年ほど中南米各国に無償の資金提供を続け、実効支配を強める傍ら つい最近キューバには石油と資金を援助する代わりに ミサイル搭載艦を常駐させる交渉までしていました。
オバマさんが慌てて国交正常化に向けた動きを見せ始めたのも、ちょうどその頃です。
大統領としての任期終了が迫る中でのレジェンド(実績)作りだと言われていますが、裏にはそんな事情もあった訳ですね★
誰が考えても、第二のキューバ危機になるのは目に見えていますから・・・
大国同士の勢力争いに利用されて巻き込まれ、その国の歴史まで変わってしまう。
古代から世界中で繰り返されてきた構図ですが・・・人間ってヤツはまったく、少しも進歩していないんですね~。
これは決して他人事じゃありません、敗戦後の日本が奇跡的な復興と発展を遂げられたのも 言ってみればアメリカ資本のお陰。
日本はソ連の目の前に飾られた、アメリカのショーケースでしかなかったのかも知れないんですから

世界中あちこちで紛争に首を突っ込むことに懲りたアメリカも、中国の横暴や今の国際情勢を受けて 再び目立つ外交に動き出さざるを得ませんでした。
まぁハッキリ言って、日本の安全とか拉致問題なんかは アメリカにとってどーでもいい事なんですよ。
北朝鮮との国交ですら、日本の意向は無視して 回復させる方向へ進む可能性が出てきてるんですから・・・
そんな中で 不自然に急がれている安保法案―――対中国でアメリカと日本の利害が一致しているうちはいいですが、各国の出方次第では 日本は確実に置いてけぼり、ヘタすりゃアメリカと中国 両方の踏み台にされちゃう事態だって考えられます。
何処か立場の似ているキューバと日本・・・既に遠いカリブ海のニュースでは済まなくなってきているのかも知れません★
今こそ、中南米諸国との絆が最重要課題になってくる! と思ったりもするんですケドね (-.-;)
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神代の響き 〔2〕
- 2014⁄02⁄13(木)
- 02:13
奏でられた、或は発せられた次の瞬間には消え去ってしまう『音』というもの。
それがどれだけ美しかろうが 所詮形を留めることは無く、それなりに苦心して創りだした者にとっては 心底残念なことでもあるんですが・・・
太古から神や祖霊との交信に 特別な音が使われてきたのには、「目に見えない存在」 同士だからという そんな理由もあったのかも知れません
原初には、人間が自分の身体だけで出すことの出来る音―――手拍子や特殊な唄、呪文などが使わていれたんでしょうね☆
仏教の声明やお経、キリスト教の聖歌などにも その片鱗は残っています。
身の周りの様々な素材を加工する技術が発達するにつれ、骨や石・木竹・土器などでも 特殊な音を出すためだけの道具が創られてゆきました。
先史時代の骨笛、縄文紀の磐笛、弥生時代の土笛、精霊の顔を刻んだ太鼓など・・・
そういった様々な素材の中でも、特に重要視されてきたものに 金属があります。
もちろん古代では貴重極まりない
素材でもありましたし、作り出す技術も極端に高度なもので 所持できる人間も限られていた筈です。
しかしそのことよりも重要視された理由は、この世のものではないと思わせるような 強烈なインパクトを感じさせるその 『音』 にありました。

古代、金属は自然界に存在しない硬度を持つ新素材でしたので、国の命運を左右するほどの力を持った武器として 日本にも入ってきました。
敵を難なく調伏してしまうその威力は 鬼や魔を滅することも可能だと考えられ、しだいに特別神聖なものとしても扱われ始めます。
神話でも、悪しきものを退治する時に使われるのは 必ず特殊な力を持つ剣や鏡―――金属ですね
三種の神器には他に やはり魔物を駆逐するとされた勾玉が加わりますが、記紀以前にはこの 『鐸』 も同等の扱いをされていた節があります。
有名な銅鐸も 今だに考古学会では色々と議論が交わされている 謎の多い遺物ですが・・・
中に吊るされたであろう“舌”の発見や 内側の打撃痕から、音を鳴らす為のものであったことは確かなようです。
銅鐸を当時の形と合金比率で復刻して、実際の音を再現しようと試みている鋳物技術者の方もおられます。
僕も聴かせてもらったことがありますが、何とも深くて玄妙な響きがするものでしたね~
「鐸」 という字は “さなぎ” と読み、時代が下っても魔除けとして 様々な場所で使われてきました。
今でも目にするのは、お寺の屋根の四隅に下がっている飾り―――あれは「風鐸」といい、やはり神聖な場所を守る役目を果たしています。
それが一般家庭にまで広く浸透したものが あの
風鈴ですね (^-^)
音で夏の暑さを和らげ、涼を感じるなんていうのも 日本ならではのステキな感性ですが・・・元々は魔除けだった訳です。
神社にお詣りする時に必ずガラガラと鳴らすデカい鈴、あれも元はサナギだったと思われます。
どんな格好をしていたかと言うと・・・

ちょっと判り辛いかもしれませんが、これが諏訪神社に残る最古の 『さなぎ鉾』 というものです。
『さなぎ鈴』 とも呼ばれますが、銅鐸ではなく 小型の鉄鐸が先端に何故か必ず六個付けられています。

ご託宣(神様のご意向を伺う神事)の際には、神官がこれを高く掲げて鳴らしたんですね。
鉄がけっこう分厚くて重いので、“チリンチリン”とか“シャラシャラ” というキレイな音ではなく “ガッシャ・ガッシャ” と派手に鳴ります (^^;)
これも勿論、実用的な武器としての矛ではなく 金属の特殊な音を響かせる為だけのもの。
この音で魔を払い神霊を呼び、場合によっては神様に直接降臨して頂く依り代にもなったという神器です。
現在では完全に失われた音ですので、各地の神社には あのガラガラ鈴(正式名称は“本坪”といいます)ではなく、古来のサナギ鈴を付けて頂きたいと 個人的には思ってしまうところですが

まぁこちらは有名でもなく、殆ど誰も復刻したりしてませんので・・・(当たり前かな ^^;)
ちょっと頑張って作っちゃいました
ずっと以前にも、20cmぐらいのミニチュアを作って ブログに載せたことがありましたけど・・・(2012「読書の秋」参照)

今回はほぼ実物大ですっ
とは言え ぶ厚い鉄板を加工するなんてのは自宅では出来ませんので、材料はミニチュア版と同じく コレを使いました☆

お家にある方は、中身を使い切って捨てる前に 一度叩いてみて下さい。
意外なほど良質の鉄材を使っているので、メチャメチャいい音がするんですよ (^-^)b

鉄バサミで切ったこれが

こうなって

酸化皮膜剤を塗ると、こうなるワケですね☆
実は昨年の暮に、フラメンコ舞踊で日本神話を表現する 『アマテラス』 という舞台がありまして・・・
その中の磐戸開きのシーンで踊る “アメノウズメ” を、我が愛する女房殿が演じさせて頂きました。
松村組の和太鼓奏者を引き連れ、僕も磐笛奏者として ちょこっとだけ参加してみたり
そこでこのサナギ鈴を使うために、実物大で作ってやろうと思い立ったのでした。
記紀の磐戸開きにサナギ鈴は登場しませんが、それ以外の色々な伝承神話の中には 磐笛や鈴が使われたという記述も見られます。
賑やかに宴を催してアマテラスを誘い出そうってのに、踊りと桶を踏み鳴らす音しか登場しないという方が不自然なようにも思えますしね~★
もしかしたら他にも、もっと沢山の 『消えてしまった音』 が 神代の空には豊かに鳴り響いていたのかも知れません。
それがどれだけ美しかろうが 所詮形を留めることは無く、それなりに苦心して創りだした者にとっては 心底残念なことでもあるんですが・・・
太古から神や祖霊との交信に 特別な音が使われてきたのには、「目に見えない存在」 同士だからという そんな理由もあったのかも知れません

原初には、人間が自分の身体だけで出すことの出来る音―――手拍子や特殊な唄、呪文などが使わていれたんでしょうね☆
仏教の声明やお経、キリスト教の聖歌などにも その片鱗は残っています。
身の周りの様々な素材を加工する技術が発達するにつれ、骨や石・木竹・土器などでも 特殊な音を出すためだけの道具が創られてゆきました。
先史時代の骨笛、縄文紀の磐笛、弥生時代の土笛、精霊の顔を刻んだ太鼓など・・・
そういった様々な素材の中でも、特に重要視されてきたものに 金属があります。
もちろん古代では貴重極まりない

しかしそのことよりも重要視された理由は、この世のものではないと思わせるような 強烈なインパクトを感じさせるその 『音』 にありました。

古代、金属は自然界に存在しない硬度を持つ新素材でしたので、国の命運を左右するほどの力を持った武器として 日本にも入ってきました。
敵を難なく調伏してしまうその威力は 鬼や魔を滅することも可能だと考えられ、しだいに特別神聖なものとしても扱われ始めます。
神話でも、悪しきものを退治する時に使われるのは 必ず特殊な力を持つ剣や鏡―――金属ですね

三種の神器には他に やはり魔物を駆逐するとされた勾玉が加わりますが、記紀以前にはこの 『鐸』 も同等の扱いをされていた節があります。
有名な銅鐸も 今だに考古学会では色々と議論が交わされている 謎の多い遺物ですが・・・
中に吊るされたであろう“舌”の発見や 内側の打撃痕から、音を鳴らす為のものであったことは確かなようです。
銅鐸を当時の形と合金比率で復刻して、実際の音を再現しようと試みている鋳物技術者の方もおられます。
僕も聴かせてもらったことがありますが、何とも深くて玄妙な響きがするものでしたね~

「鐸」 という字は “さなぎ” と読み、時代が下っても魔除けとして 様々な場所で使われてきました。
今でも目にするのは、お寺の屋根の四隅に下がっている飾り―――あれは「風鐸」といい、やはり神聖な場所を守る役目を果たしています。
それが一般家庭にまで広く浸透したものが あの

音で夏の暑さを和らげ、涼を感じるなんていうのも 日本ならではのステキな感性ですが・・・元々は魔除けだった訳です。
神社にお詣りする時に必ずガラガラと鳴らすデカい鈴、あれも元はサナギだったと思われます。
どんな格好をしていたかと言うと・・・

ちょっと判り辛いかもしれませんが、これが諏訪神社に残る最古の 『さなぎ鉾』 というものです。
『さなぎ鈴』 とも呼ばれますが、銅鐸ではなく 小型の鉄鐸が先端に何故か必ず六個付けられています。

ご託宣(神様のご意向を伺う神事)の際には、神官がこれを高く掲げて鳴らしたんですね。
鉄がけっこう分厚くて重いので、“チリンチリン”とか“シャラシャラ” というキレイな音ではなく “ガッシャ・ガッシャ” と派手に鳴ります (^^;)
これも勿論、実用的な武器としての矛ではなく 金属の特殊な音を響かせる為だけのもの。
この音で魔を払い神霊を呼び、場合によっては神様に直接降臨して頂く依り代にもなったという神器です。
現在では完全に失われた音ですので、各地の神社には あのガラガラ鈴(正式名称は“本坪”といいます)ではなく、古来のサナギ鈴を付けて頂きたいと 個人的には思ってしまうところですが


まぁこちらは有名でもなく、殆ど誰も復刻したりしてませんので・・・(当たり前かな ^^;)
ちょっと頑張って作っちゃいました

ずっと以前にも、20cmぐらいのミニチュアを作って ブログに載せたことがありましたけど・・・(2012「読書の秋」参照)

今回はほぼ実物大ですっ

とは言え ぶ厚い鉄板を加工するなんてのは自宅では出来ませんので、材料はミニチュア版と同じく コレを使いました☆

お家にある方は、中身を使い切って捨てる前に 一度叩いてみて下さい。
意外なほど良質の鉄材を使っているので、メチャメチャいい音がするんですよ (^-^)b

鉄バサミで切ったこれが

こうなって

酸化皮膜剤を塗ると、こうなるワケですね☆
実は昨年の暮に、フラメンコ舞踊で日本神話を表現する 『アマテラス』 という舞台がありまして・・・
その中の磐戸開きのシーンで踊る “アメノウズメ” を、我が愛する女房殿が演じさせて頂きました。
松村組の和太鼓奏者を引き連れ、僕も磐笛奏者として ちょこっとだけ参加してみたり

そこでこのサナギ鈴を使うために、実物大で作ってやろうと思い立ったのでした。
記紀の磐戸開きにサナギ鈴は登場しませんが、それ以外の色々な伝承神話の中には 磐笛や鈴が使われたという記述も見られます。
賑やかに宴を催してアマテラスを誘い出そうってのに、踊りと桶を踏み鳴らす音しか登場しないという方が不自然なようにも思えますしね~★
もしかしたら他にも、もっと沢山の 『消えてしまった音』 が 神代の空には豊かに鳴り響いていたのかも知れません。
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神代の響き
- 2014⁄01⁄30(木)
- 04:18
演奏家という仕事を長年続けてきていつも思うのは、生まれた瞬間に消え去ってしまう 『音』 というものの因果な宿命です。
作者が心血を注いで造り上げたであろう 何百年も前の絵画や彫刻は―――或は何千年と経った壁画や土偶でさえ―――現代の人間も当時と同じものを見ることが可能ですよね。
でも音楽は、どれほど素晴らしいものを造り上げても 何百年どころか0.1秒も経たないうちに消えてしまう運命にあります。
もちろんレコードやCDはその音を遠く離れた場所や 後世にまで伝えてくれるものなんですが・・・
それはあくまで記録でしかなく、ちょうど古代の優れた彫刻が レプリカかスケッチでしか残っていないような状態に似ているような気がします。
まぁ、だからこそ衆人環視の場で その瞬間にしか生まれ得ない感動もあるのでしょうけど★
自分のアトリエで誰にも邪魔されず 納得のゆくまで修正を重ねられる芸術作品を見ていると、ちょっといいなぁと思ってしまうのも事実です (^^;)
言葉もそうですが、年月を重ねるうちに全く別のものになってしまったり 完全に忘れ去られて想像することすら難しくなってしまうのが音というもの。
楽器の実物が残っていれば とりあえず音は聴ける訳ですが、古代の奏法や楽曲は 伝承が途絶えればそれまで、ということになってしまいます。
縄文や弥生の遺跡から発掘された品々の中には、音は出そうと思えば出せるけど・・・コレ果たして楽器なんだろうか?? というものも少なくありません。
例えば―――何十年か前、縄文期遺跡の祭祀跡と思われる場所から 突然大きな鹿の骨が出たことがありました。
鹿は当時貴重な食料でしたので 食べ残しかと思われたのですが、良く見ると骨の表面には均等に人工的な刻み目が付けられている。
ある学者は 「何らかの占いに使用されたもの」 と断じましたが、これを木の棒か何かで擦ればチーチキ・チーチキとリズムを刻む“すりざさら”になるじゃないかと力説する学者も居るわけですね

演奏家としては諸手を挙げて後者を支持したい気分ですが、何せ証拠となるものは どちらにも残っていないのですから・・・当時の人に訊くしかないというのが本当のところです。
同じような事例に 縄文土器の特異例である 『有孔鍔付土器』 と呼ばれるものがあります。

開口部の縁に沿って均等に開けられた孔と その下の出っ張り・・・これが一体何のための物なのか、学会で物議を醸したんですね。
『酒を醸造するのに使われた瓶で、孔は発酵する際に出る余分な気体を逃がす為である』 と学者センセイは言うんですが、アルコール分を含む液体の痕跡が検出されたわけでもなく あんまり納得できる解答ではないような気がしてしまいます (^^;)
謎だよなぁ~と首をひねる考古学会をよそに、画期的な説を唱える人が現れました。
「こりゃアナタ、間違いなく縄文の太鼓ですよ!!」

ほほ~、なるほど☆ あの孔は革を張る時にクサビを打ち込む為だったのね

実際に当時の技法である野焼きで 文様まで忠実に復元して、演奏に使っている音楽家も居ます。

(縄文造型アーティスト:猪風来氏 作)
これもゼヒ支持したい 楽しくてユニークな発想なんですが・・・数多く出土している割には、残念ながら革の破片やクサビらしきものも 全く見つかっていないようです
祀りの際に篝火の元で打ち鳴らされていた・・・っていう方が、よっぽどロマンもありますけどね~★
音というものは目に見えず 瞬間に消えてしまうからこそ、古代から神秘的な存在だったのかも知れません。
更に 人間や動物が声や身体で出せない特殊な音は、次第に祖霊や神と交信できる 唯一の手段だと考えられるようになってゆきました。
次回も、消えてしまった古代の響きについて ちょっと書いてみたいと思っています。
作者が心血を注いで造り上げたであろう 何百年も前の絵画や彫刻は―――或は何千年と経った壁画や土偶でさえ―――現代の人間も当時と同じものを見ることが可能ですよね。
でも音楽は、どれほど素晴らしいものを造り上げても 何百年どころか0.1秒も経たないうちに消えてしまう運命にあります。
もちろんレコードやCDはその音を遠く離れた場所や 後世にまで伝えてくれるものなんですが・・・
それはあくまで記録でしかなく、ちょうど古代の優れた彫刻が レプリカかスケッチでしか残っていないような状態に似ているような気がします。
まぁ、だからこそ衆人環視の場で その瞬間にしか生まれ得ない感動もあるのでしょうけど★
自分のアトリエで誰にも邪魔されず 納得のゆくまで修正を重ねられる芸術作品を見ていると、ちょっといいなぁと思ってしまうのも事実です (^^;)
言葉もそうですが、年月を重ねるうちに全く別のものになってしまったり 完全に忘れ去られて想像することすら難しくなってしまうのが音というもの。
楽器の実物が残っていれば とりあえず音は聴ける訳ですが、古代の奏法や楽曲は 伝承が途絶えればそれまで、ということになってしまいます。
縄文や弥生の遺跡から発掘された品々の中には、音は出そうと思えば出せるけど・・・コレ果たして楽器なんだろうか?? というものも少なくありません。
例えば―――何十年か前、縄文期遺跡の祭祀跡と思われる場所から 突然大きな鹿の骨が出たことがありました。
鹿は当時貴重な食料でしたので 食べ残しかと思われたのですが、良く見ると骨の表面には均等に人工的な刻み目が付けられている。
ある学者は 「何らかの占いに使用されたもの」 と断じましたが、これを木の棒か何かで擦ればチーチキ・チーチキとリズムを刻む“すりざさら”になるじゃないかと力説する学者も居るわけですね


演奏家としては諸手を挙げて後者を支持したい気分ですが、何せ証拠となるものは どちらにも残っていないのですから・・・当時の人に訊くしかないというのが本当のところです。
同じような事例に 縄文土器の特異例である 『有孔鍔付土器』 と呼ばれるものがあります。

開口部の縁に沿って均等に開けられた孔と その下の出っ張り・・・これが一体何のための物なのか、学会で物議を醸したんですね。
『酒を醸造するのに使われた瓶で、孔は発酵する際に出る余分な気体を逃がす為である』 と学者センセイは言うんですが、アルコール分を含む液体の痕跡が検出されたわけでもなく あんまり納得できる解答ではないような気がしてしまいます (^^;)
謎だよなぁ~と首をひねる考古学会をよそに、画期的な説を唱える人が現れました。
「こりゃアナタ、間違いなく縄文の太鼓ですよ!!」

ほほ~、なるほど☆ あの孔は革を張る時にクサビを打ち込む為だったのね


実際に当時の技法である野焼きで 文様まで忠実に復元して、演奏に使っている音楽家も居ます。

(縄文造型アーティスト:猪風来氏 作)
これもゼヒ支持したい 楽しくてユニークな発想なんですが・・・数多く出土している割には、残念ながら革の破片やクサビらしきものも 全く見つかっていないようです

祀りの際に篝火の元で打ち鳴らされていた・・・っていう方が、よっぽどロマンもありますけどね~★
音というものは目に見えず 瞬間に消えてしまうからこそ、古代から神秘的な存在だったのかも知れません。
更に 人間や動物が声や身体で出せない特殊な音は、次第に祖霊や神と交信できる 唯一の手段だと考えられるようになってゆきました。
次回も、消えてしまった古代の響きについて ちょっと書いてみたいと思っています。
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- 文化・歴史
巳ーさんの年
- 2013⁄01⁄18(金)
- 02:24
新しい年は波乱の幕開けでしたが、アッという間に もう半月以上も過ぎてしまいましたね☆
皆さんのお宅でも 鏡開きは済みましたでしょうか
今年は蛇年ということで、あんまり好きじゃないって方も多いでしょうが・・・
実を言うと何年であろうが、お正月というのはイヤでも 『蛇』 に関わってくるものなんです

鏡餅―――もともとは神棚にお供えする神饌(神様の食べ物)ですね。
新しい年の初めに「自己を鑑みる」 からきているとか、ミカンでなく橙を飾るのは「代々栄えるように」とか・・・
シャレというより目出度い言霊好きの日本人は 色々な理由付けもしてきましたが、実はどれも後から考えられたものなんです。
古くから神道では橙を玉・柿串を剣・餅を鏡と見立ててきました―――だから鏡餅というわけ。
つまり・・・三種の神器の象徴なんです、コレ
よーく見ると餅の間に黒くて平たいものが見えますが、コレは昆布です。
三種の神器が制定されるより古い時代には 十種神宝(とくさのかんだから)というものがあり、この中には剣・玉・鏡の他に比礼(ひれ)なるものが含まれています。
これは振って魔を祓う為の神聖な布なんですが、昆布は比礼に見立てられているんですね。
今ではイセエビとか末広なんていう目出度いものを一杯くっつけるのが主流になっていますが、もとはこの4つが鏡餅に欠かせないものでした。
でも鏡餅のルーツは蛇神信仰に関わるもっと古いものだ、と主張する民俗学者や言語学者も数多くいます。
蛇の古語としては「ハバ」や「ハミ」、「ナギ」などがありますが(ウナギという言葉に残っていますね)一番多いのが「カガ」という言葉。
大蛇を意味するヤマカガシや蛇の目という意味のカガチ(ホオズキの方言)などは、今でも使われています。
田んぼに立っている案山子(かかし)という名前も、実は作物に害を為すネズミや野鳥を追い払う 蛇神からきていたりするんです
そして『鏡』は真実を見抜く蛇の目、カガメからきているという説が 今では定説になっています。
鏡餅もカガミ・・・蛇身、つまり蛇が二重にとぐろを巻いている姿だと言われているんですね

そう言われりゃ妙に生々しい 白蛇に見えなくもありませんが・・・
お正月は勿論 神社に欠かせないもうひとつのアイテム、注連縄(しめなわ)も コレまた蛇だったりします。

これは二頭の蛇が絡まった、交尾の時の姿だとされているんです・・・当然、こっちもそうだってコトですね

魔を締め出す神聖な領域を示すものですが、玄関先で蛇が交尾って・・・ちょっとな~って気もします (^^;)
元は脱皮して永遠の生命を保つと信じられていた、蛇の霊力にあやかろうとしたものだったのでしょうか
蛇を崇める民間信仰は超古代にまで遡り、かの縄文土器には 殆ど必ずといっていいくらい蛇のモチーフが付けられています。
世界的に有名になった火焔土器も、実は炎の形ではなく 全て蛇が鎌首を持ち上げた姿なんですね★



縄文の昔から現代では意識しない部分にまで、日本と言うのは 様々な形で蛇神を祀ってきた国なのかも知れません。
まぁ そんなのイヤだ、キモチワルイ
という向きもありましょうが・・・あまり毛嫌いせず、超古代からの信仰を 時には見直してみるってのもイイんじゃないでしょうか。
その計り知れないパワーで、今年は例年にも増して良いことがあるといいですね
皆さんのお宅でも 鏡開きは済みましたでしょうか

今年は蛇年ということで、あんまり好きじゃないって方も多いでしょうが・・・
実を言うと何年であろうが、お正月というのはイヤでも 『蛇』 に関わってくるものなんです


鏡餅―――もともとは神棚にお供えする神饌(神様の食べ物)ですね。
新しい年の初めに「自己を鑑みる」 からきているとか、ミカンでなく橙を飾るのは「代々栄えるように」とか・・・
シャレというより目出度い言霊好きの日本人は 色々な理由付けもしてきましたが、実はどれも後から考えられたものなんです。
古くから神道では橙を玉・柿串を剣・餅を鏡と見立ててきました―――だから鏡餅というわけ。
つまり・・・三種の神器の象徴なんです、コレ

よーく見ると餅の間に黒くて平たいものが見えますが、コレは昆布です。
三種の神器が制定されるより古い時代には 十種神宝(とくさのかんだから)というものがあり、この中には剣・玉・鏡の他に比礼(ひれ)なるものが含まれています。
これは振って魔を祓う為の神聖な布なんですが、昆布は比礼に見立てられているんですね。
今ではイセエビとか末広なんていう目出度いものを一杯くっつけるのが主流になっていますが、もとはこの4つが鏡餅に欠かせないものでした。
でも鏡餅のルーツは蛇神信仰に関わるもっと古いものだ、と主張する民俗学者や言語学者も数多くいます。
蛇の古語としては「ハバ」や「ハミ」、「ナギ」などがありますが(ウナギという言葉に残っていますね)一番多いのが「カガ」という言葉。
大蛇を意味するヤマカガシや蛇の目という意味のカガチ(ホオズキの方言)などは、今でも使われています。
田んぼに立っている案山子(かかし)という名前も、実は作物に害を為すネズミや野鳥を追い払う 蛇神からきていたりするんです

そして『鏡』は真実を見抜く蛇の目、カガメからきているという説が 今では定説になっています。
鏡餅もカガミ・・・蛇身、つまり蛇が二重にとぐろを巻いている姿だと言われているんですね


そう言われりゃ妙に生々しい 白蛇に見えなくもありませんが・・・
お正月は勿論 神社に欠かせないもうひとつのアイテム、注連縄(しめなわ)も コレまた蛇だったりします。

これは二頭の蛇が絡まった、交尾の時の姿だとされているんです・・・当然、こっちもそうだってコトですね


魔を締め出す神聖な領域を示すものですが、玄関先で蛇が交尾って・・・ちょっとな~って気もします (^^;)
元は脱皮して永遠の生命を保つと信じられていた、蛇の霊力にあやかろうとしたものだったのでしょうか

蛇を崇める民間信仰は超古代にまで遡り、かの縄文土器には 殆ど必ずといっていいくらい蛇のモチーフが付けられています。
世界的に有名になった火焔土器も、実は炎の形ではなく 全て蛇が鎌首を持ち上げた姿なんですね★



縄文の昔から現代では意識しない部分にまで、日本と言うのは 様々な形で蛇神を祀ってきた国なのかも知れません。
まぁ そんなのイヤだ、キモチワルイ

その計り知れないパワーで、今年は例年にも増して良いことがあるといいですね

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