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音の不思議 その3

人間が把握や制御できるどころか 感知することさえ不可能な存在―――神々や大自然の精霊たち・彼岸に渡った人々。
彼らに捧げる為に発達してきた音楽というものが 他の供物と根本的に違うのは、直接願いを届けることの出来る 唯一の通信手段であると考えられてきたからです。
その為の楽器自体や音の種類、演奏法から所作に至るまで 全てが神聖なものであるとされ、世界中の民族の間で 様々な試みと共に厳密な体系化がなされてきました。

これは もしかしたら、の話ではあるんですが・・・
何千年にも及ぶ真剣な試行錯誤の過程では、実際に非現実的で普遍的な「効果」を認められたものも 確かに存在したんじゃないでしょうか。
護国豊穣の祈願にしろ 天変地異の回避にしろ、今よりもずっと切羽詰まった 身近な祈りであったことには間違いありません。
気が遠くなるような時間をかけてみても 何の成果も確証も得られないのであれば、何処か途中で諦めてしまうのが普通なんではなかろうか? と・・・。
或は「音」ではない別の何かを必死になって探し 変更しようとするのではないか、とも思ったりするのです。

何代にも亘り 人々が苦心して探ってきたその法則や秘曲も、現代では古臭い慣習や迷信として片付けられ 日常で楽しむ為のものとは完全に切り離されてしまった感がありますが・・・。
そうした神秘的な側面、宗教的な色合いを特に意識せずとも、音楽は時として その片鱗を垣間見せてくれることがあります。

これは随分と昔の話になりますが、とあるコンサートの終演後に 「是非お話したい」 と楽屋を訪ねてこられた方がありました。
もちろん毎回 陣中見舞いを届けて下さるファンの方もいらっしゃいますし、それ自体は 別段珍しい事でも何でもないんですが・・・。
初めてお会いするそのお客様は、足のご不自由な 壮年の男性でした。
その方の車椅子を押されている ご家族の方でしょうか、女性と共に楽屋へ入ってこられたのですが、お二人とも人目も憚らず 身体を震わせて号泣されているんです。
我々の演奏に感動して頂いたにしては 少しばかり尋常ではない様子ですし、僕も何があったのか なかなか状況が把めないままでした。
暫くしてようやく落ち着かれると、その方はまだ少し震える声で ゆっくり説明を始めて下さいました。
昔つまらない事故で半身不随になってしまった 彼の両足は、もう20年以上 自分の意思では全く動かす事の出来ない状態だそうです。
幾つもの病院と 様々なリハビリを試して来られたいきさつ、神経断裂の為 回復は難しいと診断され続けていた話も伺いました。
20数年と言う時間の経過もあり、御本人も半ば諦めておられたのですが―――

『今日は知り合いの紹介で 初めて聴きに来させて頂いたんですけど・・・コンサートの後半でフト気付いたら、この足が! 皆さんの曲に合わせてリズムを刻んでいたんですよ!!』

これには僕も 只々びっくりしてしまって、その方と握手を交わしながら 訳もなく一緒に “ありがとう” を繰り返すばかりでした。
本当に我々の音楽が 何らかの影響を及ぼしたと言えるのか、或は単なる偶然だったのか 今でも何ひとつ解りません。
それでもふと想いを巡らせてしまうのは、人知の及ばない存在への通信が 本当に届いたと確信できる瞬間というもの・・・
それが何千年という時の流れの中で 例え1秒でも実在したのなら、これも馬鹿げた話だと一笑に付す気には どうしてもなれないんです。
この時から僕は 自分の紡ぎ出す音の意味と「音霊(おとだま)」というものの存在を、少し考えるようになりました。
もちろん自分の演奏に反映させて、誰かを救おうとか 聴く人に何らかの影響を及ぼそうなどと画策している訳ではありません。
それが現実に効果的なものであると科学的に証明された処で、ハーメルンの笛吹き男のように 必要な相手にピンポイントで届ける術を知らなければ 何の役にも立たないでしょうし。
ただ どんな時と場合であれ、音が持っている可能性については 常に意識していたいとは思いますし、自分の出す音にも ある種の責任は持っていなければならないと感じています。
そして何よりも、僕自身が ずっと音の力を信じ続けて行かなくてはならないのでしょうね。
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音楽・楽器