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BANDERA MIA

スペイン語で 「私の旗」 ・・・偶然と呼ぶか奇しくもと言うべきか、小学5年生でアルゼンチンのアーティストとの関わりを持った僕が トランペットを手に彼らと初めて演奏したのがこの曲でした。
ちょうど国旗について考えていた処でもありましたし、今の僕にとって 旗印というのが何かの啓示なのかもしれません。
実はこういうこと、昔から割とよくあるんです
何かに興味を持った途端 全く関係のない所から案内が届いたり本を頂いたり、TVで特集番組が組まれていたり。
母親がクモ膜下で倒れた時には その1週間ほど前に最先端脳外科手術のドキュメンタリーを偶然観ていたという 逆パターンもありましたが・・・。
特にアクションを起こさなくても、必要な情報が 偶然の範疇を遥かに超えて集中したりすることがあります。
まぁ、だからってそれが何か役に立つ結果を 必ずもたらすって訳でもないんですけどね

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これはペルーの首都・リマの中心にあり 中世ヨーロッパ風の市庁舎などが林立する 「アルマス広場」 の光景。
「それじゃ明日、この旗の下で3時にね」と、褐色の肌にビビッドオレンジのワンピースがよく似合う可愛いリマ娘 エスペランサと約束したことを思い出します゜゜゜
いや、まぁそれはともかく・・・仲良く翻る2つの旗の奥側にあるのが、現在の公式ペルー国旗です。
そして手前のレインボーカラーの旗、これが “Tawantin Suyu (タワンティン・スージュ)” と呼ばれ 正式な国旗以上に親しまれ大切にされている、インカ帝国の旗なんですね。
有名な太陽の祭り 『インティライミ』 や独立記念日などには この旗が街中の至る処に掲げられ、その彩で祝賀ムードを高めてくれます。
虹の色にはそれぞれ清らかな水や光・大地といったエレメント、宇宙や時間理念までもが当てはめられ インカの世界観すべてが現されていると言われる 聖なる旗。
抜けるようなアンデスの碧空に 2つの旗が誇らしげに並ぶこの光景を初めて目にした時、ある種の感動を覚えたのを 今でも鮮明に記憶しています。

1533年、黄金を求めてやってきた僅かな数のスペイン人に インカ帝国はあっけなく征服され、滅亡してしまいます。
この 「インカ帝国」 というのは 征服した側の白人が用いた呼称ですので、誇り高き末裔達は 今でも決してその名前を使おうとはしません。
当時の公用語であったケチュア語で 「4つの世界」 を意味するタワンティン・スージュ―――これが帝国の正式名称ですが、聖なる旗には 同じ名が与えられている訳ですね。
様々な民族の連合国家であったインカ帝国、その中核を担う人々は 公用語が示すとおり現在のペルーを領土としていたケチュア族でした。
帝国の首都であり、様々な太陽神への祭事が行われていたクスコも やはりペルーにあります
それに対して軍事や楽隊など 実質的に帝国を支えていたと言われる第二勢力が、今のボリビアに住んでいたアイマラ族。
アルカディアのライヴで、いつもケーナ奏者の井上さんが拡げている あのモザイク模様の旗は “Wipara (ウィパラ)” と呼ばれ、このアイマラ族を表すものになります。

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同じくインカ帝国を象徴する旗ですが、当然ながらボリビアでは このウィパラのほうが神聖な旗印として大切にされてきた訳ですね
アンデスを代表する国同士でも、ペルーとボリビアでは 民族性と共にその印象もかなり異なっています。
ケーナだけを見ても、ボリビア製のものが材質も太く重く 力強い高音を得意とするのに対して、ペルーのケーナは薄く軽く 何処か哀愁を帯びた音色を出します。
これはあくまで私見ですが、ちょうどインカ帝国での役割がそのまま続いているような感じ・・・ボリビアが押しの強い武士社会なのに対して ペルーは貴族・神官階級といった印象を受けます。
日本の古都に例えると “商売や見せ方が巧い京都” 的なボリビア、片や “奇をてらわずどっしりとした歴史を見せ付ける奈良” のようなペルー、って感じでしょうか (^^;)

インカ帝国が滅亡してから既に500年近く、キリスト教やスペイン語を始めとして 実に様々な変化が南米にはもたらされてきました。
長年に亘る植民地化により ヨーロッパ人との混血も進み、ペルーではその 「メスティーソ」 と呼ばれる人々が人口の半分以上を占めるまでになっています。
歴史的な確執と共に 白人やその血を引いたメスティーソが社会的な優遇を受けるなど、民族的な問題も抱えてきた国ではありますが・・・
それだけに、国際的に正式とされる国旗とネイティヴ (一般的にはインディオと呼ばれる人々ですが、蔑称とされる場合もあります) の民族の魂とも言える旗がどちらも大切にされ 仲良く並んで首都の中央広場に翻っている様は、とても晴れやかで力強い印象を受けました。
混血ではあったけれど、明らかにネイテイヴの血を 色濃く引いていた褐色のエスペランサ。
彼女が 「この旗の下でね」 と言ったのには、インカの末裔としてこの国を見せたい、という誇りも ちょっと含まれていたのかも知れないなぁ・・・なんて、今になって思ったりします

これが “BANDERA MIA” だと胸を張って言える旗があるって、少し羨ましくはありませんか?
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南米・遺跡