奉納演奏
- 2011⁄07⁄28(木)
- 23:59
早いもので、演奏家として生きることを選んでから もう26年もの歳月が流れました。
考えてみれば、この音楽という仕事には 実に様々な場所とシチュエーションが与えられているものだと 改めて感心してしまいます。
呼んで頂ければ、何処へでも楽器を持って駆けつけるのが この仕事。
夏祭りなどのイベントから 各地の学校は勿論のこと 保育園や福祉施設での演奏、珍しいところでは 比較民俗学の文化講演授業として、大学でのライヴなんかもありました。
ちゃんとした舞台と照明・音響を備えたホールで華やかな演奏が出来るなんていうのは そのうちの極く僅かな機会でしかなく、大半は昔からあまり変わらない 旅芸人の世界だったりするんですね

なので、場合によっては―――というより、かなりの確率で 予想も出来ないハプニングが付いてまわったりもします。
「ホントに人間、住んでるの?」 と思ってしまう 泊まる場所も無いような山奥でのイベント、真夜中の2時に始まる怪しいライヴ、港に停泊中の揺れるクルーザーの屋根の上から 転げ落ちそうになりながらのTV生中継、などなど・・・
「老人会の集まり」 と聞いていたのに 行ってみたらお客さんが全員ナゼか外国人だったとか、「舞台とマイクは準備万端です」 という担当者を信じていたら 演奏場所が高さ6mの盆踊りの櫓で (楽器抱えてハシゴ登りましたよ
) マイクは拡声器
しかなかったり★
海外公演では政情不安で 楽屋に爆発物探知用の巨大なドーベルマンが入ってきたり、会場の周りがマシンガン携えた軍の警備隊で包囲されてたなんてこともありました

こうなってくると、真冬に雪の降る中での屋外ステージ (更に控え室無し) なんて実にカワイイもの。
大概のことは もう通常の範疇で、ちょっとやそっとじゃ動じなくなってます
・・・って、そんな鍛え方してくれなんて 誰も頼んでないんですけどね
まだまだ機会の少ない舞台ではありますが、その中でも特殊なものに 『奉納演奏』 というカテゴリーがあります。
普通に考えれば、例えどんなシチュエーションであっても 一般の方に聴いて頂くのが演奏というものなんですけど・・・奉納の場合は その相手が神様になる訳ですね
日本では古くから雅楽がその為の音楽に選定され、時には巫女さんが踊る浦安舞や 乱稜王などの厳かな舞を伴っての奉納がなされてきました。
千何百年も続く由緒ある祭りやご神儀の場合は 奉納する雅楽曲が 題名はもちろん順番まで厳密に定められていたりもするんですが、実はそうでない所も数多くあるんです。
何せ神道だけでも八百万の神々、それに中国やインド伝来の様々な神様が加わり 更には巨大な樹木に磐座(いわくら)、山や川自体まで 御神体として崇め祀ってきた日本の国
全国津々浦々にまで お上が定めた雅楽の影響が及ぶ筈もなく (だいたい そんなに演奏家いませんし
) 大抵の奉納は土地の人々によって行われてきた訳です。
祇園祭のお囃子や天神祭りの龍踊り・徳島の阿波踊りなども 元は人々が楽しむ為のものではなく、神に感謝を捧げる奉納神事でした。
まぁ要するに、ちゃんと感謝と畏敬の念があって それで神様に意志が通じ喜んで頂けると思えば、自分達の好きな楽器でドンチャンやっても 別に構わないよってコトなんです
そのへんのいい加減さというか大らかさ・・・お寺に平気で鳥居が立っている日本ならではのことで、個人的には大好きなんですけどね

以前記事にも少し書きましたが、僕の場合は 専門のケーナとチャランゴで奉納をさせて頂いたりしてます (「音の不思議・その1」参照)
NHKのドキュメンタリー番組などでテーマ曲を担当していた シンセサイザーの喜多郎氏や姫神氏、オカリナの宗次郎氏なども 天河弁財天社で行われる奉納演奏の出身です。
アフリカの太鼓ジャンベやンビラ(親指ピアノ)、アボリジニのディジュリドゥなどでされる方もいらっしゃいますね
でも実は、神道に限って言えば 雅楽よりずっと古くから使われてきた、忘れてはならない特殊な楽器があるんです。
それが磐笛―――人間が音を出す為に作り出した楽器ではなく、自然のものをそのまま奉納演奏に使うという点では もしかしたら唯一のものかも知れません。
縄文時代の遺跡からも発掘されている まさに日本最古の楽器とも言えるものですが、古神道では奉納ではなく神事そのもの、それも最も重要な 「神降ろし」 に使われてきました。
現代までその片鱗を伝えているのは、能舞台で神霊が現れるときに奏される 能管の音色だけとなってしまいましたが・・・。
神を呼ばう磐笛奏者と その依りしろとなる巫女、そして降ろされた神の言葉を見極める 「審神者(さにわ)」 という神職が三人一組となって 御託宣がとり行われていたんです
偶然とはいえ 様々な場所で奉納演奏をして 不思議な事象にも遭って来た僕が、明石の浜で 今度はその磐笛を手にしてしまったわけで・・・
いくら呑気で普段の信仰心も薄く 心霊現象など信じない人間でも、流石にちょっと立ち止まって 考えてしまいますよね (^^;)
勢いこの一年で 各地の神社に足を運ぶ回数も磐笛での奉納も、今までの人生では有り得なかったほどに増えたりしている次第。
急に敬虔になって神様を信じだした
というより、自分で納得の出来る 何か明確な答えが欲しいだけなのかも知れません。
その中でも 行くべくして行った奈良の神社では、少し楽しい事もあったりしたんですが・・・そのお話はまた次回に
考えてみれば、この音楽という仕事には 実に様々な場所とシチュエーションが与えられているものだと 改めて感心してしまいます。
呼んで頂ければ、何処へでも楽器を持って駆けつけるのが この仕事。
夏祭りなどのイベントから 各地の学校は勿論のこと 保育園や福祉施設での演奏、珍しいところでは 比較民俗学の文化講演授業として、大学でのライヴなんかもありました。
ちゃんとした舞台と照明・音響を備えたホールで華やかな演奏が出来るなんていうのは そのうちの極く僅かな機会でしかなく、大半は昔からあまり変わらない 旅芸人の世界だったりするんですね


なので、場合によっては―――というより、かなりの確率で 予想も出来ないハプニングが付いてまわったりもします。
「ホントに人間、住んでるの?」 と思ってしまう 泊まる場所も無いような山奥でのイベント、真夜中の2時に始まる怪しいライヴ、港に停泊中の揺れるクルーザーの屋根の上から 転げ落ちそうになりながらのTV生中継、などなど・・・
「老人会の集まり」 と聞いていたのに 行ってみたらお客さんが全員ナゼか外国人だったとか、「舞台とマイクは準備万端です」 という担当者を信じていたら 演奏場所が高さ6mの盆踊りの櫓で (楽器抱えてハシゴ登りましたよ


海外公演では政情不安で 楽屋に爆発物探知用の巨大なドーベルマンが入ってきたり、会場の周りがマシンガン携えた軍の警備隊で包囲されてたなんてこともありました


こうなってくると、真冬に雪の降る中での屋外ステージ (更に控え室無し) なんて実にカワイイもの。
大概のことは もう通常の範疇で、ちょっとやそっとじゃ動じなくなってます


まだまだ機会の少ない舞台ではありますが、その中でも特殊なものに 『奉納演奏』 というカテゴリーがあります。
普通に考えれば、例えどんなシチュエーションであっても 一般の方に聴いて頂くのが演奏というものなんですけど・・・奉納の場合は その相手が神様になる訳ですね

日本では古くから雅楽がその為の音楽に選定され、時には巫女さんが踊る浦安舞や 乱稜王などの厳かな舞を伴っての奉納がなされてきました。
千何百年も続く由緒ある祭りやご神儀の場合は 奉納する雅楽曲が 題名はもちろん順番まで厳密に定められていたりもするんですが、実はそうでない所も数多くあるんです。
何せ神道だけでも八百万の神々、それに中国やインド伝来の様々な神様が加わり 更には巨大な樹木に磐座(いわくら)、山や川自体まで 御神体として崇め祀ってきた日本の国

全国津々浦々にまで お上が定めた雅楽の影響が及ぶ筈もなく (だいたい そんなに演奏家いませんし

祇園祭のお囃子や天神祭りの龍踊り・徳島の阿波踊りなども 元は人々が楽しむ為のものではなく、神に感謝を捧げる奉納神事でした。
まぁ要するに、ちゃんと感謝と畏敬の念があって それで神様に意志が通じ喜んで頂けると思えば、自分達の好きな楽器でドンチャンやっても 別に構わないよってコトなんです

そのへんのいい加減さというか大らかさ・・・お寺に平気で鳥居が立っている日本ならではのことで、個人的には大好きなんですけどね


以前記事にも少し書きましたが、僕の場合は 専門のケーナとチャランゴで奉納をさせて頂いたりしてます (「音の不思議・その1」参照)
NHKのドキュメンタリー番組などでテーマ曲を担当していた シンセサイザーの喜多郎氏や姫神氏、オカリナの宗次郎氏なども 天河弁財天社で行われる奉納演奏の出身です。
アフリカの太鼓ジャンベやンビラ(親指ピアノ)、アボリジニのディジュリドゥなどでされる方もいらっしゃいますね

でも実は、神道に限って言えば 雅楽よりずっと古くから使われてきた、忘れてはならない特殊な楽器があるんです。
それが磐笛―――人間が音を出す為に作り出した楽器ではなく、自然のものをそのまま奉納演奏に使うという点では もしかしたら唯一のものかも知れません。
縄文時代の遺跡からも発掘されている まさに日本最古の楽器とも言えるものですが、古神道では奉納ではなく神事そのもの、それも最も重要な 「神降ろし」 に使われてきました。
現代までその片鱗を伝えているのは、能舞台で神霊が現れるときに奏される 能管の音色だけとなってしまいましたが・・・。
神を呼ばう磐笛奏者と その依りしろとなる巫女、そして降ろされた神の言葉を見極める 「審神者(さにわ)」 という神職が三人一組となって 御託宣がとり行われていたんです

偶然とはいえ 様々な場所で奉納演奏をして 不思議な事象にも遭って来た僕が、明石の浜で 今度はその磐笛を手にしてしまったわけで・・・
いくら呑気で普段の信仰心も薄く 心霊現象など信じない人間でも、流石にちょっと立ち止まって 考えてしまいますよね (^^;)
勢いこの一年で 各地の神社に足を運ぶ回数も磐笛での奉納も、今までの人生では有り得なかったほどに増えたりしている次第。
急に敬虔になって神様を信じだした

その中でも 行くべくして行った奈良の神社では、少し楽しい事もあったりしたんですが・・・そのお話はまた次回に

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