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盂蘭盆

やたらと続く猛暑の中、今年のお盆も終わりましたね
毎年8月の13~16日あたりは 日本中で民族大移動が起こり、各地の交通機関は大変なコトになりますけど・・・
地方によっては8月の1日からだったり、何処でも同じだと思っている習慣にも まるっきり違うものがあったりして 民俗学的にも興味深いものがあります。

そもそもお盆というもの自体、よくよく考えてみると 宗教的には明確に分類できない存在なんですよね
一般的には 仏教の盂蘭盆(うらぼん)が主体になっているとされていますが・・・

盂蘭盆は サンスクリット語の“ウランヴァーナ”が語源とされ、それには 『逆さ吊りの苦しみ』 という物騒な意味があるそうです
釈迦の弟子であった目蓮(もくれん)という人が、修行の途中で 亡くなった自分の母親が餓鬼道に落ちてしまったことを知ります。
餓鬼道は 欲深な人間が落ちると言われる、永遠に餓えや渇きに苦しむ場所。
彼は不思議な力で 母親に水や食べ物を与えようとしますが、すぐに炎に包まれてしまい 届けることができません。
そこで釈迦に懇願して、ようやく助けてもらった・・・というのが、盂蘭盆経に書かれている話です。

しかしこれはどうも、インドから中国に仏教が伝えられる時に 中国人にすんなりと受け入れて貰えるようにと作られた話のようですね。
中国で主流だった儒教の教えでは 家や親を大切にすることが当たり前。
ところが仏教では、家財産も親も妻も・・・全て捨て、煩悩を断ち切って 出家することこそ重要と説かれます。
この矛盾した教義の溝を埋めなくちゃならなかった訳ですが、わざわざお経まで作っちゃうとは―――
母親思いのイイ話なのかな~と思いきや、けっこう無茶な後付けですよね (^^;)

この盂蘭盆が中国から渡来した時、日本では御他聞に漏れず 各地にあった土着信仰と思いっきり結びついちゃったんですね。
だってお盆って、根本的なところが 何処かおかしいとは思いませんか?
そもそも あの盂蘭盆の話が、現在の 『先祖の霊をお迎えしてもてなす』 という考え方と習慣に どう関わってくるのか。
確かに 亡くなった親も祖霊ですから、その供養という点では 一致していますが・・・☆ 
でも仏教の考え方に基づくなら、亡くなった人は 成仏した彼岸で安寧に暮らしているはず。
その極楽浄土から (まぁ、御先祖によっては 未来永劫に抜け出せない筈の地獄から、って場合もあるのかもしれませんけど) 死者が 夏にだけ帰ってくるなんて、ね
家に帰ってくる筈の祖霊を待たず、田舎へ墓参りに出かけちゃうってのも 何処か変な気がします。

bondana.jpg

これは古くからの民間信仰や神道など、ありとあらゆるものが習合しちゃった結果なんですね。
写真の盆棚は「精霊棚」とも「施餓鬼棚」とも呼ばれますが、名前の時点で既に 祖先の霊と餓鬼供養がごっちゃになってます (取りようによっては失礼な話 ^^;)
四方に笹を立てて結界を張るのは 明らかに古神道の修法ですし、家の中に神や祖霊を招き入れて 寝食を共にするという考え方は 日本古来の民間信仰です。
東北の神事 「アエノコト」 などに見られる、田の神を招いて一緒に食事をしたり相撲を取ったりする あの習慣と同じですね
その時に神をもてなす為の 「神饌(神様のお食事)」 の設えが、精霊棚にお供えするものと非常によく似ています。
因みに 「ほおずき」 を注連縄に飾るのは、祖霊が迷わない為の 提灯代わりだそうです。
言われてみればホオズキ、漢字では 「鬼灯」 と書きますよねー。
でも この鬼というのは 日本の節分に登場する鬼ではなく、中国語で霊のこと・・・こうなってくると、ますますワケわかりません (^^;)

これも 多少の矛盾や習慣の違いなどはものともせず、様々な 「有難いもの」・「祀るべきもの」 を都合よく混ぜて信仰してしまえる、日本ならではのことなのかも知れません。
(仏壇の前に注連縄、という光景は、多少の矛盾どころか けっこうスゴいな~と思ってしまいますが☆)
地方によって正反対の言い伝えがあったり 説明に苦しむ点が多かったりもしますけど、毎年こうして 盆棚はもちろん精霊船などを可能な限り綺麗に飾り立てるのは なかなかイイものですよね。
帰ってきてくれる祖霊を 何とかもてなしたい!という気持ちが 切ないほど表れていて、素直に美しいなぁと思ってしまいます。

亡くなった人たちは、いったい何処へ行くのか。
今まで傍で見守っていてくれた存在は、この世から消えて それっきりになってしまうのか。
世界中にある色々な宗教は、たぶんその一点の疑問から発している―――そういう意味では、すべて同じなのかも知れません。
天国・地獄・極楽・六道輪廻・海の彼方(ニライカナイや西方浄土)・山へ登って郷を見守る、空の上や地下にある根の国、千の風・・・
誰も本当のところは判りませんし、知り得ない世界だからこそ 少しでも寂しくない方向へ考えてみよう・・・と、古来 人々は悲しみにくれながらも頑張ってきたのでしょう。
人間って、何かカワイイですよね

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文化・歴史