笛の神殿 [2]
- 2013⁄02⁄17(日)
- 02:24
インカ帝国、と聞くと 皆さんはまずどんなことを想像しますか?
南米ペルーに栄えた
太陽の帝国、黄金のエルドラド、隙間にカミソリの刃も入らないほどの精巧な石組み・・・
何やら 現代科学でも解明出来ない点の多い、謎の古代文明というイメージが一般的ですよね。
でも、スペイン軍の侵略によって滅亡したのが1533年―――わずか480年前のことで、実はそれほど古いわけじゃないんです。
しかも 高度な文明を誇った大帝国という割には、その歴史もたった100年ほどしかありません
エジプト王国が3000年間、ローマ帝国が約1400年、日本の徳川幕府だけでも 260年続いたことを考えると・・・
こりゃ 歴史の中ではアッという間ですよね~
南米各地の遺跡から様々な土器や織物が発掘されていますが、その殆どは 実は紀元前から栄えていた他の文明のもの。
侵略者に徹底的に破壊されたこともあって インカ独自の文化は僅かしか残っておらず、それゆえに 『幻の帝国』 と呼ばれたりもします。
インカ帝国は 驚くほどのスピードでそれらの殆どを征服し、技術を吸収した “集大成国家” だった、というだけの話なんですね
チャビン・モチェ・ワリ・地上絵で有名なナスカなどの文明が数多く存在しましたが、インカ帝国以前のものをひっくるめて 『プレインカ文明』 と呼んでいます
実を言うと、僕もプレインカについては それほど詳しいわけではないんですが・・・2つ目の骨製ケーナがキッカケで、改めて色々と勉強することになりました。

一面に鳥の文様が刻まれ、そのそれぞれの目が 指孔になっているデザインです。
これを偶然に見つけたのは 世界各国の骨董や輸入装飾品などを扱っているお店―――それだけでも怪しい雰囲気満載ですが
店主が南米に居た頃に インカ帝国の首都だったクスコで入手したことは本当だとしても、「インカ時代のものらしいです」 という説明自体が もうマユツバの極地です (^^;)
上記のような理由で 発掘品自体が極端に少ない上、そんなものが市場に出回ること自体が不自然ですからね~☆
こりゃ完全な贋物だわ・・・

それでも何か引っかかる部分があって、色々と文献も調べてみたりしたんですが・・・刻まれている文様の様式などから、少なくともインカ時代というのはデタラメだという結論に達しました
う~む、やっぱり・・・ニセモノというよりは、手の込んだレプリカか何かだろーか?
最後に頼ってみたのは、吹田の民俗学博物館に務める 知り合いの教授
。
その昔 フォルクローレ楽器のレクチャーをしに通ったこともあり、展示用サンポーニャの修復を依頼されたこともあるご縁なのですが・・・
「ま~た素人がこんな下らんものを
」 とバカにされることも覚悟で鑑定をお願いしてみたところ、これが何と いきなりチムー文化中期のものだということが判明してしまいました

プレインカ文明の中でも最大で 特に高度な文化水準を持ち、インカ帝国に一番影響を与えたのが 「チムー帝国」 です。
これはペルー北部の海岸地帯に 紀元450年頃から1000年間も栄えた文明で、織物や金細工・装飾建築にかけては 南米屈指の華やかな技術を誇っていました。

結局のところ 教授にも詳しい年代は判りませんでしたが、チムー時代中期のものなら 少なくとも600年から、もしかすると1300年近く前ということになります。
ケーナに刻まれた水鳥 (たぶんペリカン) のモチーフは、海岸地帯で発達した文明の 特徴的な文様だったんですね
長さは20cmほどですが、これはどうやら 演奏する為の楽器ではなかったようです。
指孔が均等に開けられているので 音階としても不正確ですし、そもそも唄口にあたるU字型のエッジが 音を出すようには削られていません。
では一体何の為なのかというと・・・死者と一緒に埋葬される 魔除けの副葬品らしいんですね、コレが☆
何百年もミイラの横で砂に埋まってたというのは 正直言ってあんまり想像したくない光景ですケド
つい最近まで南米には “ウァケーロ” という職業があり、一種のシャーマンとして人々に尊敬され 怖れられてもいた存在だったそうです。
彼らは真夜中に古代の遺跡へ出掛けていって周辺を掘り返し、土器や織物―――時には先住民の骨や副葬品を持ち帰るのを仕事にしていました。
まぁ言ってしまえば 思いっきり盗掘なんですけど・・・それらの出土品は 家の魔除けとして大切に飾られ、何年かして効力が薄れると 新しいものに取り替えられるという風習がありました。
古いものは再びウァケーロの手によって 他の街へと運ばれ、転売されるうちに海外へ流出した―――どうやら そういうことらしいです
まぁどういうご縁があったのか、遥々地球の裏側でケーナ奏者をやっている 僕の処まで来てくれた訳で・・・
何百年もの時を経た本物の出土品ということになれば、なおさら疎かにはできません★
というわけで、コイツにはリキを入れて 特別な神殿を作ってやることにしました

ちょっと本物っぽく写真に撮ってみましたが、実物は高さ20センチぐらい。
実のところ、発泡スチロールの土台に 紙粘土を被せてあるだけのシロモノなんですが (^^;)
古代の神殿が苔むして 少し崩れかけた感じとかも、例のジオラマ本を参考にして出してみました。

で、これのどこが一体 ケーナを飾る為の台なのかというと・・・

最終的には こうなるワケです
しかし これの紹介をするだけで、南米の歴史講義からやるか? ふつう・・・(-.-;)
南米ペルーに栄えた

何やら 現代科学でも解明出来ない点の多い、謎の古代文明というイメージが一般的ですよね。
でも、スペイン軍の侵略によって滅亡したのが1533年―――わずか480年前のことで、実はそれほど古いわけじゃないんです。
しかも 高度な文明を誇った大帝国という割には、その歴史もたった100年ほどしかありません

エジプト王国が3000年間、ローマ帝国が約1400年、日本の徳川幕府だけでも 260年続いたことを考えると・・・
こりゃ 歴史の中ではアッという間ですよね~

南米各地の遺跡から様々な土器や織物が発掘されていますが、その殆どは 実は紀元前から栄えていた他の文明のもの。
侵略者に徹底的に破壊されたこともあって インカ独自の文化は僅かしか残っておらず、それゆえに 『幻の帝国』 と呼ばれたりもします。
インカ帝国は 驚くほどのスピードでそれらの殆どを征服し、技術を吸収した “集大成国家” だった、というだけの話なんですね

チャビン・モチェ・ワリ・地上絵で有名なナスカなどの文明が数多く存在しましたが、インカ帝国以前のものをひっくるめて 『プレインカ文明』 と呼んでいます

実を言うと、僕もプレインカについては それほど詳しいわけではないんですが・・・2つ目の骨製ケーナがキッカケで、改めて色々と勉強することになりました。

一面に鳥の文様が刻まれ、そのそれぞれの目が 指孔になっているデザインです。
これを偶然に見つけたのは 世界各国の骨董や輸入装飾品などを扱っているお店―――それだけでも怪しい雰囲気満載ですが

店主が南米に居た頃に インカ帝国の首都だったクスコで入手したことは本当だとしても、「インカ時代のものらしいです」 という説明自体が もうマユツバの極地です (^^;)
上記のような理由で 発掘品自体が極端に少ない上、そんなものが市場に出回ること自体が不自然ですからね~☆
こりゃ完全な贋物だわ・・・


それでも何か引っかかる部分があって、色々と文献も調べてみたりしたんですが・・・刻まれている文様の様式などから、少なくともインカ時代というのはデタラメだという結論に達しました

う~む、やっぱり・・・ニセモノというよりは、手の込んだレプリカか何かだろーか?
最後に頼ってみたのは、吹田の民俗学博物館に務める 知り合いの教授

その昔 フォルクローレ楽器のレクチャーをしに通ったこともあり、展示用サンポーニャの修復を依頼されたこともあるご縁なのですが・・・
「ま~た素人がこんな下らんものを



プレインカ文明の中でも最大で 特に高度な文化水準を持ち、インカ帝国に一番影響を与えたのが 「チムー帝国」 です。
これはペルー北部の海岸地帯に 紀元450年頃から1000年間も栄えた文明で、織物や金細工・装飾建築にかけては 南米屈指の華やかな技術を誇っていました。

結局のところ 教授にも詳しい年代は判りませんでしたが、チムー時代中期のものなら 少なくとも600年から、もしかすると1300年近く前ということになります。
ケーナに刻まれた水鳥 (たぶんペリカン) のモチーフは、海岸地帯で発達した文明の 特徴的な文様だったんですね

長さは20cmほどですが、これはどうやら 演奏する為の楽器ではなかったようです。
指孔が均等に開けられているので 音階としても不正確ですし、そもそも唄口にあたるU字型のエッジが 音を出すようには削られていません。
では一体何の為なのかというと・・・死者と一緒に埋葬される 魔除けの副葬品らしいんですね、コレが☆
何百年もミイラの横で砂に埋まってたというのは 正直言ってあんまり想像したくない光景ですケド

つい最近まで南米には “ウァケーロ” という職業があり、一種のシャーマンとして人々に尊敬され 怖れられてもいた存在だったそうです。
彼らは真夜中に古代の遺跡へ出掛けていって周辺を掘り返し、土器や織物―――時には先住民の骨や副葬品を持ち帰るのを仕事にしていました。
まぁ言ってしまえば 思いっきり盗掘なんですけど・・・それらの出土品は 家の魔除けとして大切に飾られ、何年かして効力が薄れると 新しいものに取り替えられるという風習がありました。
古いものは再びウァケーロの手によって 他の街へと運ばれ、転売されるうちに海外へ流出した―――どうやら そういうことらしいです

まぁどういうご縁があったのか、遥々地球の裏側でケーナ奏者をやっている 僕の処まで来てくれた訳で・・・
何百年もの時を経た本物の出土品ということになれば、なおさら疎かにはできません★
というわけで、コイツにはリキを入れて 特別な神殿を作ってやることにしました


ちょっと本物っぽく写真に撮ってみましたが、実物は高さ20センチぐらい。
実のところ、発泡スチロールの土台に 紙粘土を被せてあるだけのシロモノなんですが (^^;)
古代の神殿が苔むして 少し崩れかけた感じとかも、例のジオラマ本を参考にして出してみました。

で、これのどこが一体 ケーナを飾る為の台なのかというと・・・

最終的には こうなるワケです

しかし これの紹介をするだけで、南米の歴史講義からやるか? ふつう・・・(-.-;)
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- 雑記・日常