奉納演奏 〔2〕
- 2013⁄07⁄22(月)
- 01:17
過日、丹生川上神社で 厳粛に催された夏越大祓(なごしのおおはらえ)。
暑い夏の時期を無難に乗り切るというのは、これだけ科学や医療が進歩した現代でも なかなか大変なことです
普段から健康な人でも夏痩せで病気になったり 食中毒に熱中症に・・・栄養状態や衛生環境も悪かった昔は 尚更でしょうし、命に関わることも少なくなかったんでしょうね~
実際 医者や薬に頼ることもままならなかった時代、常世や御先祖・神様のような人智を超えた存在は 今よりずっと身近に感じられるものだったに違いありません。
『水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命伸ぶといふなり』

勿論僕もそんな時代の人々の気持ちなどは知る由もない 飽食の時代を生きる現代人な訳ですけど・・・
こういう場での演奏をさせて頂く機会があると、古代から綿々と続くしきたりや祀りの意味、それを生活に無くてはならないものと考え信じてきた人々の想いまで 不思議と抵抗なく理解できたりするんですね
以前に和泉の高殿 『池上曽根遺跡』 で演奏した時にも、夕暮れ時の篝火の中 弥生人の存在がすぐ近くにあるような感覚に包まれたことがありましたが・・・使う楽器や旋律は違っても、音楽にはかけ離れた時空や想いといったものを 瞬間的に繋いでしまう何かが含まれているのかもしれないなぁ、ナドと思ったりします。
当日御神事の写真を撮りに来ていらっしゃった フリーカメラマンの住田磨音さんより、お写真をお借りする事が出来ましたので 改めて掲載しますね

奉納演奏に先立って行われた(―――って、勿論こちらがメインなんですけど ^^;)祓の御神事。
大祓の祝詞が奏上された後、“ゆふ”と呼ばれる 厄災に見立てた白い布を 小気味良く八つに裂いてゆきます。
この裂かれた布に花びらが似ているので名前になったのが 「浜木綿(はまゆう)」 ですね☆
このあと参列者が息を吹きかけて穢れを移した人形(ひとがた)と一緒に桐の箱に封じ、流す(清める)ことになります。
平安時代に宮中で陰陽師が行っていた祓いの作法と同じですが、僕もここまで本格的な儀式に参加させて頂いたのは初めて

夕闇迫る中 境内の灯篭に日が灯され、煌々と焚かれる篝火と共に 奉納演奏が始まります。



ちっこいですが
・・・拝殿向かって右側で笛を吹いているのが僕ですね
左手でシンセサイザーを操るのは ラテンボーカル界でも有名な大先輩、青山佳龍さん。
ギターバックの素朴なケーナもイイものですが、シンセサイザーでないと表せない幽玄な音世界もあります。
奉納演奏の最後に『月の舞』という新曲があったのですが、倭留七さんの巫女舞の為に書かれた 実に幻想的で優しい旋律の曲でした☆

流れるように続くロングトーンが微妙に難しい曲でもありましたが、実は直前に一陣の風が舞って 僕の譜面を全て飛ばしてしまうという大ハプニング付き

何とかギリギリ覚えていたので、最後まで事故も無く吹き通せましたが―――まるで全てを見届けたかのように、奉納演奏と撤収が終わった途端 ものすごい雷雨に見舞われました。
譜面なんぞに頼ってんじゃねーぞコラ、と竜神様が飛ばされたんでしょかね~ (^^;)
暑い夏の時期を無難に乗り切るというのは、これだけ科学や医療が進歩した現代でも なかなか大変なことです

普段から健康な人でも夏痩せで病気になったり 食中毒に熱中症に・・・栄養状態や衛生環境も悪かった昔は 尚更でしょうし、命に関わることも少なくなかったんでしょうね~

実際 医者や薬に頼ることもままならなかった時代、常世や御先祖・神様のような人智を超えた存在は 今よりずっと身近に感じられるものだったに違いありません。
『水無月の 夏越の祓する人は 千歳の命伸ぶといふなり』

勿論僕もそんな時代の人々の気持ちなどは知る由もない 飽食の時代を生きる現代人な訳ですけど・・・
こういう場での演奏をさせて頂く機会があると、古代から綿々と続くしきたりや祀りの意味、それを生活に無くてはならないものと考え信じてきた人々の想いまで 不思議と抵抗なく理解できたりするんですね

以前に和泉の高殿 『池上曽根遺跡』 で演奏した時にも、夕暮れ時の篝火の中 弥生人の存在がすぐ近くにあるような感覚に包まれたことがありましたが・・・使う楽器や旋律は違っても、音楽にはかけ離れた時空や想いといったものを 瞬間的に繋いでしまう何かが含まれているのかもしれないなぁ、ナドと思ったりします。
当日御神事の写真を撮りに来ていらっしゃった フリーカメラマンの住田磨音さんより、お写真をお借りする事が出来ましたので 改めて掲載しますね


奉納演奏に先立って行われた(―――って、勿論こちらがメインなんですけど ^^;)祓の御神事。
大祓の祝詞が奏上された後、“ゆふ”と呼ばれる 厄災に見立てた白い布を 小気味良く八つに裂いてゆきます。
この裂かれた布に花びらが似ているので名前になったのが 「浜木綿(はまゆう)」 ですね☆
このあと参列者が息を吹きかけて穢れを移した人形(ひとがた)と一緒に桐の箱に封じ、流す(清める)ことになります。
平安時代に宮中で陰陽師が行っていた祓いの作法と同じですが、僕もここまで本格的な儀式に参加させて頂いたのは初めて


夕闇迫る中 境内の灯篭に日が灯され、煌々と焚かれる篝火と共に 奉納演奏が始まります。



ちっこいですが


左手でシンセサイザーを操るのは ラテンボーカル界でも有名な大先輩、青山佳龍さん。
ギターバックの素朴なケーナもイイものですが、シンセサイザーでないと表せない幽玄な音世界もあります。
奉納演奏の最後に『月の舞』という新曲があったのですが、倭留七さんの巫女舞の為に書かれた 実に幻想的で優しい旋律の曲でした☆

流れるように続くロングトーンが微妙に難しい曲でもありましたが、実は直前に一陣の風が舞って 僕の譜面を全て飛ばしてしまうという大ハプニング付き


何とかギリギリ覚えていたので、最後まで事故も無く吹き通せましたが―――まるで全てを見届けたかのように、奉納演奏と撤収が終わった途端 ものすごい雷雨に見舞われました。
譜面なんぞに頼ってんじゃねーぞコラ、と竜神様が飛ばされたんでしょかね~ (^^;)
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