初のソロライヴ♪
- 2013⁄08⁄20(火)
- 01:46
ようやく今年のお盆も終わりましたね
これだけ娑婆が暑いと、帰ってきた御先祖サマも汗だくだったんじゃないでしょうか
数年前のちょうどこの時期に 唯一無二の親友を亡くしていることもあり、8月の暑い最中には『高野山声明』のCDを聴きながら車を走らせるのが常になっています。
声明(しょうみょう)というのは念仏に美しい節がついているので、グレゴリオ聖歌のように 音楽として聴けるんですよね
別に内容が良くわからなくても 荘厳な響きは空間を整えてくれますし、清冽な流れに身を浸しているような気分になれて 渋滞でもイライラしなくて済みます。
とは言え勿論お経な訳ですから、信号待ちをしている時に 隣のドライバーが怪訝そうな顔でこちらを見ている・・・なんてことも時々ありますけど (^^;)
実際にコンサートとしてヨーロッパを回ったりしている僧侶集団ですので、CDでは雅楽やシタールなどのインド音楽とのコラボも試みられていて なかなか勉強になります♪
あの独特の発声法と節回しやリズムは、それだけで場の空気を引き締め一変させる 音楽本来の力を確かに持っているような気がするんですよね。
お経が諭しや祈りの文章として成立する以前、『神仏に捧げる特別な音』 であった頃の名残を留めているというか・・・
尺八の極意に、たったひとつの音に全霊を込める “一音成仏” という言葉がありますが、あの境地に近いものがあるようにも思えます。
年齢のせいもあるんでしょうか、最近頓にコード進行やハーモニーで複雑に仕上げられた音楽よりも そういう 『音の底力』 を感じさせてくれる、ベーシックでプリミティヴなものに惹かれてしまうんですよね~☆
僕が専門にしているケーナという楽器にしても、元々はお祭などで楽しみの為に演奏されるものではなく 神や御先祖との対話に使われていた神聖な笛でした。
インカ帝国がスペインに滅ぼされた後 ヨーロッパ音楽の影響が色濃く入り、現在に至るフォルクローレの多用さを生んでいる訳ですが・・・
リズムなども洗練され 音楽的にとても聴きやすくなっている反面、たった一音で世界を変えてしまう 「尺八本曲」 のような力強さと凄みは どうしても失われていっているような気がするんですね
実は今回、アルカディアのライヴに先立って 初のソロライヴを企画したのも、何処かにそんな想いがあったからなのでした☆
最小限に削ぎ落とした人数と伴奏で 楽器本来の音の力や、普段は地味過ぎてラインナップ出来ないような 古い楽曲の良さを前面に出して演ってみたい・・・。
でも実はコレ、いくらでもバックアップしてくれる強い味方たちを 自ら退けるようなものなんですね~
自分の演奏家としてのスキルが 一番顕わになってしまう舞台でもあり、とにかく怖い事この上ない
しかも普段、フルメンバーでの演奏の時は アレンジと伴奏に徹していますので、曲目を並べてみると「ちゃんとライヴで演るのは初めてかも」とか「この曲を吹くのは何と・・・30年ぶり?」とか、そんなんばっかし

自分で企画しといて言うのも何ですが―――ムチャなことを よく一人で90分近くも演ったもんだ★


まぁでも どうにかやり遂げることが出来、お陰様で次につながる良い評価も沢山頂きました。
全くのチャランゴソロ“石の巡礼”や 華やかでテクニカルなパラグアイの名曲“原生林”なども本当に久々に演りましたが、一番聴いて欲しかったのは やはりペルーの古曲”ソンコイマン”と アルゼンチン・ビダーラの”ケーナが泣いている”ですね (^-^)
旋律も比較的単純な初心者向けの楽曲ですが、色々と複雑な曲を演ってそこへ戻ってくると いかに表現が多様で“ちゃんと聴かせる”ことが難しいか、ホントに良く解ります
今回、自分としては やりたかったことに少しだけ近づけたかな~、という程度ではありましたが・・・。
これを機に まだまだ自分の音世界に精進しなくては
と 意気込んでおります。
やはりエネルギーをかなり使うのか クタクタになりましたが・・・実は今回、これがホンの手始めに過ぎなかったんですよね (^^;)
怒涛の顛末は また次の機会に☆

これだけ娑婆が暑いと、帰ってきた御先祖サマも汗だくだったんじゃないでしょうか

数年前のちょうどこの時期に 唯一無二の親友を亡くしていることもあり、8月の暑い最中には『高野山声明』のCDを聴きながら車を走らせるのが常になっています。
声明(しょうみょう)というのは念仏に美しい節がついているので、グレゴリオ聖歌のように 音楽として聴けるんですよね

別に内容が良くわからなくても 荘厳な響きは空間を整えてくれますし、清冽な流れに身を浸しているような気分になれて 渋滞でもイライラしなくて済みます。
とは言え勿論お経な訳ですから、信号待ちをしている時に 隣のドライバーが怪訝そうな顔でこちらを見ている・・・なんてことも時々ありますけど (^^;)
実際にコンサートとしてヨーロッパを回ったりしている僧侶集団ですので、CDでは雅楽やシタールなどのインド音楽とのコラボも試みられていて なかなか勉強になります♪
あの独特の発声法と節回しやリズムは、それだけで場の空気を引き締め一変させる 音楽本来の力を確かに持っているような気がするんですよね。
お経が諭しや祈りの文章として成立する以前、『神仏に捧げる特別な音』 であった頃の名残を留めているというか・・・

尺八の極意に、たったひとつの音に全霊を込める “一音成仏” という言葉がありますが、あの境地に近いものがあるようにも思えます。
年齢のせいもあるんでしょうか、最近頓にコード進行やハーモニーで複雑に仕上げられた音楽よりも そういう 『音の底力』 を感じさせてくれる、ベーシックでプリミティヴなものに惹かれてしまうんですよね~☆
僕が専門にしているケーナという楽器にしても、元々はお祭などで楽しみの為に演奏されるものではなく 神や御先祖との対話に使われていた神聖な笛でした。
インカ帝国がスペインに滅ぼされた後 ヨーロッパ音楽の影響が色濃く入り、現在に至るフォルクローレの多用さを生んでいる訳ですが・・・
リズムなども洗練され 音楽的にとても聴きやすくなっている反面、たった一音で世界を変えてしまう 「尺八本曲」 のような力強さと凄みは どうしても失われていっているような気がするんですね

実は今回、アルカディアのライヴに先立って 初のソロライヴを企画したのも、何処かにそんな想いがあったからなのでした☆
最小限に削ぎ落とした人数と伴奏で 楽器本来の音の力や、普段は地味過ぎてラインナップ出来ないような 古い楽曲の良さを前面に出して演ってみたい・・・。
でも実はコレ、いくらでもバックアップしてくれる強い味方たちを 自ら退けるようなものなんですね~

自分の演奏家としてのスキルが 一番顕わになってしまう舞台でもあり、とにかく怖い事この上ない


しかも普段、フルメンバーでの演奏の時は アレンジと伴奏に徹していますので、曲目を並べてみると「ちゃんとライヴで演るのは初めてかも」とか「この曲を吹くのは何と・・・30年ぶり?」とか、そんなんばっかし


自分で企画しといて言うのも何ですが―――ムチャなことを よく一人で90分近くも演ったもんだ★


まぁでも どうにかやり遂げることが出来、お陰様で次につながる良い評価も沢山頂きました。
全くのチャランゴソロ“石の巡礼”や 華やかでテクニカルなパラグアイの名曲“原生林”なども本当に久々に演りましたが、一番聴いて欲しかったのは やはりペルーの古曲”ソンコイマン”と アルゼンチン・ビダーラの”ケーナが泣いている”ですね (^-^)
旋律も比較的単純な初心者向けの楽曲ですが、色々と複雑な曲を演ってそこへ戻ってくると いかに表現が多様で“ちゃんと聴かせる”ことが難しいか、ホントに良く解ります

今回、自分としては やりたかったことに少しだけ近づけたかな~、という程度ではありましたが・・・。
これを機に まだまだ自分の音世界に精進しなくては

やはりエネルギーをかなり使うのか クタクタになりましたが・・・実は今回、これがホンの手始めに過ぎなかったんですよね (^^;)
怒涛の顛末は また次の機会に☆
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