悲喜こもごも☆
- 2016⁄01⁄30(土)
- 02:23
寒い日が続いていますね★
山裾に位置する我が家は、連日猛暑と騒がれるような夏でも 風を通せばクーラー無しで過ごせる位の環境なんですが・・・・
冬場ともなれば 歩いて15分の駅前では雨でも、家の周りにはしっかり雪が降り積もっていたりします
先日の稀に見る大寒波で 九州も大変だったようですが、ウチでも古い水道管が凍結して破裂、凍える真夜中にビショビショになりながら 漏水と格闘する羽目になってしまいました (-.-;)
一応救急の水道屋さんは呼んだのですが・・・ 「これはどうしようもありませんわ」 とか 「元から引きなおしになりますね~」 と言いながら、素人でも判る 超イイ加減な応急処置をして帰っていく始末。
しかも引きなおしには数ヶ月待ち、道路まで掘り返して 数十万かかるとか・・・冗談じゃないっっ (>。<)
しかもそれまでどーすんだよって話で、んなら少々雫が染み出す位は我慢して 自分でやったるわい!! と色々購入してきました。
エポキシ系漏水パテを盛って水周り用のパワーテープと自融着テープで何重にも巻き、仕上げに金属製の締め付けリガチャー。

ま、何とかなりそうな気配です (^^;)
パテの硬化時間やら強度確保の必要性もあって 暫くは水が使えない不便さを余儀なくされておりますが・・・
お隣に借りた水を大鍋に張って お湯は石油ストーブで沸かし大切に使いながら、そう言えば大震災の後はこうだったよな~★ナドとあらぬ感慨に耽っております。
お風呂は仕方ないので 駅前にある銭湯までぽくぽく歩いて行ったりしましたが、これがまた楽しいの何の
「極楽湯」 という名前もナカナカですが、中は殆ど昭和初期そのまんまなんです。


このタイプのカランとシャワーが 現役で残っているのは珍しいです


黄色い洗面器も 10円入れるマッサージ器も懐かしさ満載、ゆったりとした空間を1時間半も満喫してしまいました (^^;)
湯上りにはラムネと最後まで迷った挙句 フルーツ牛乳を選択、帰りには夜風で火照った身体を冷やしつつ塩ラーメンで完結
う~ん、こういうのもいいなぁ・・・
プロ生活を始めたばかりの頃は メキシコ人メンバーのアドリアンと一緒に住んでいましたが、ボロイ文化住宅でしたのでお風呂は付いていませんでした。
近くにある銭湯へ、仕事終わりの深夜 よく一緒に通ってましたね~。
子供の頃には当たり前でしたが・・・月が綺麗な夜道を歩きながら いつも母が何かを歌っていて、横を歩く父がそれに即興でハーモニーをつけてデュエットしていたのを思い出します。
父は関西学院のグリークラブでも リーダー的存在でしたから、コレがまた音楽的に質が高い☆
母は弟の乳母車を押していて、僕はそれに便乗しながら二人の唄を聴いていたような記憶ですから 50年以上も前の話ですね。
今も仕事で曲のセカンドパートの旋律を考えることが多くなっていますが、さ程本格的な勉強もしていないのに作れるというのは たぶんこの頃に聴いていた 正確なハーモニーが染み付いているからなんだろうなぁ―――なんて考えながら家路を辿りました。
盟友のアドリアンも 音楽好きの父も、もうこの世にはいませんけど・・・
山裾に位置する我が家は、連日猛暑と騒がれるような夏でも 風を通せばクーラー無しで過ごせる位の環境なんですが・・・・
冬場ともなれば 歩いて15分の駅前では雨でも、家の周りにはしっかり雪が降り積もっていたりします

先日の稀に見る大寒波で 九州も大変だったようですが、ウチでも古い水道管が凍結して破裂、凍える真夜中にビショビショになりながら 漏水と格闘する羽目になってしまいました (-.-;)
一応救急の水道屋さんは呼んだのですが・・・ 「これはどうしようもありませんわ」 とか 「元から引きなおしになりますね~」 と言いながら、素人でも判る 超イイ加減な応急処置をして帰っていく始末。
しかも引きなおしには数ヶ月待ち、道路まで掘り返して 数十万かかるとか・・・冗談じゃないっっ (>。<)
しかもそれまでどーすんだよって話で、んなら少々雫が染み出す位は我慢して 自分でやったるわい!! と色々購入してきました。
エポキシ系漏水パテを盛って水周り用のパワーテープと自融着テープで何重にも巻き、仕上げに金属製の締め付けリガチャー。

ま、何とかなりそうな気配です (^^;)
パテの硬化時間やら強度確保の必要性もあって 暫くは水が使えない不便さを余儀なくされておりますが・・・
お隣に借りた水を大鍋に張って お湯は石油ストーブで沸かし大切に使いながら、そう言えば大震災の後はこうだったよな~★ナドとあらぬ感慨に耽っております。
お風呂は仕方ないので 駅前にある銭湯までぽくぽく歩いて行ったりしましたが、これがまた楽しいの何の

「極楽湯」 という名前もナカナカですが、中は殆ど昭和初期そのまんまなんです。


このタイプのカランとシャワーが 現役で残っているのは珍しいです



黄色い洗面器も 10円入れるマッサージ器も懐かしさ満載、ゆったりとした空間を1時間半も満喫してしまいました (^^;)
湯上りにはラムネと最後まで迷った挙句 フルーツ牛乳を選択、帰りには夜風で火照った身体を冷やしつつ塩ラーメンで完結

う~ん、こういうのもいいなぁ・・・

プロ生活を始めたばかりの頃は メキシコ人メンバーのアドリアンと一緒に住んでいましたが、ボロイ文化住宅でしたのでお風呂は付いていませんでした。
近くにある銭湯へ、仕事終わりの深夜 よく一緒に通ってましたね~。
子供の頃には当たり前でしたが・・・月が綺麗な夜道を歩きながら いつも母が何かを歌っていて、横を歩く父がそれに即興でハーモニーをつけてデュエットしていたのを思い出します。
父は関西学院のグリークラブでも リーダー的存在でしたから、コレがまた音楽的に質が高い☆
母は弟の乳母車を押していて、僕はそれに便乗しながら二人の唄を聴いていたような記憶ですから 50年以上も前の話ですね。
今も仕事で曲のセカンドパートの旋律を考えることが多くなっていますが、さ程本格的な勉強もしていないのに作れるというのは たぶんこの頃に聴いていた 正確なハーモニーが染み付いているからなんだろうなぁ―――なんて考えながら家路を辿りました。
盟友のアドリアンも 音楽好きの父も、もうこの世にはいませんけど・・・
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