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デジタルの功罪(1)

真空管ラジオがお茶の間にも普及し始めた時代、昭和の名人と呼ばれたある落語家は ラジオで名を売り出す他の芸人たちには目もくれず、番組に出演することを頑なに拒んだそうです。
曰く「電波なんてぇ訳の解らねぇモノに俺の話を載せるなんざぁもっての他、わざわざ寄席へ足を運んで下さるお客さんにも申し訳が立たねぇ」

・・・同じ変化は、もちろん当時の音楽世界にも起きていた筈でした。
ラジオというメディアが、家の中から出る事のないレコードとはまた違うジャンルと使い勝手での 「新しい音楽シーン」 を生み出す母胎となっていったのは確かです。
ただ 音楽と寄席のような舞台芸能の間で最初から大きく違っていたのは、大衆へのアプローチの手法が この時点ではまるっきり逆方向だったとも言える事です。

音楽の中でも伝統芸能に属するもの――例えば能楽であるとか、地方独自の神事に関わるような祭囃子などは 落語と同じように 「その場で空間を共有しないと聞けない」 のが当り前でした。
それに対してクラシックなどの新しい西洋音楽は、まずラジオや輸入レコードで紹介されて 初めて耳にするのが一般的という “本体が存在しない” 所から始まっていったんです。
ラジオで毎日欠かさずジャズを聴くという愛好家でさえ、サックスという楽器が一体どんな形で どうやって演奏されているのかについては、誰も知らなかった・・・という、何とも不思議な時代が先行した訳ですね。

一方 昔ながらの長唄や三味線・琴などの純日本音楽も勿論存在し生活の中に溶け込んでいましたが、それらは 「楽しむ音楽」 であると同時に趣味習い事の範疇でもあり、普段公共の場で一般の人々向けに興されるものではありませんでした。
これには勿論、屋外での歌舞音曲を生業とする者が 「河原者」 や 「門付け」 と呼ばれ、物乞いと同じような差別対象となっていた歴史も 少なからず影響していた筈です。
また時代は多少前後しますが、軍楽隊の演奏やチンドン、サーカスのジンタ、流しのギターなどの街頭音楽にしても 「誰もが、いつでも聴ける」 性質のものだったとは言い難い部分があります。

つまり人々が目の前で演奏される、俗に言う 「生の音楽」 を日常のものとして体験するのは、ずっと後になってからのことだったんですね。
新しい音楽についてはそもそも生演奏の出来る人間が周りに誰も存在しなかった訳ですから、その最初の段階からレコードやラジオ・TVのような時代の先端をゆくメディア媒体を介して そこから伝播してゆく逆手法を選ばざるを得なかったのだとも言えるでしょう。
その分、音楽はデジタル化され広く頒布される一大革命についても 最初から免疫耐性があったのかも知れません。

「わざわざ足を運んで下さるお客さんに申し訳が立たねぇ」・・・
それでもこのセリフは、そのまま現在の音楽環境にも当てはまる問題を投げ掛けています。
どれだけメディアが進化し 小難しい議論を戦わせた処で、目の前で繰り広げられる芸能の楽しさと興奮には 理屈抜きで勝てないという現実もあります。
いつの頃からか メディア媒体と生音楽もちゃんと逆転(正常化)し、音の価値もまず “生の舞台ありき” になっていきました。
しかしこの閉鎖された寄席の舞台から公共の電波への開放という大事件は 「誰もが、いつでも聴ける」 という劇的な利便性の側面と共に、今だに生演奏の音楽と録音物の関係にも 等しい問いかけを残しています。

では、その後更に起こったデジタル化の波については?・・・音楽の価値には一体どのような変化が及んだんでしょうか。

《続く・・・かな ^^;》
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音楽・楽器

Comment

やっぱり

その場の空気に勝るもの無し!!だね。
自分が実際に行ったライブでも
ビデオで観ると『ナンカチガーウ』ってなるから不思議。

レコードは好きだけど、オートのプレイヤーは好かん
自分で針を下ろすのが醍醐味なんだもの~
曲と曲の間に下ろせる様になった時は
『大人になったなぁ
と感じたっけ

  • 2011⁄02⁄19(土)
  • 10:52

わかるな~[e:263][e:814]

失敗するとレコード傷める可能性もあるけど、オートじゃなく手でそ~っと針を下ろすのは 聴く時の礼儀のような気がしますです
・・・って、年齢がバレる会話 (^^;)
今の子供、オープンリールは勿論カセットも触ったことない訳だもんなぁ
ポータブルMDプレーヤーですら、既に博物館行きになったらしいです
  • 2011⁄02⁄19(土)
  • 12:50

人や物の

実体から吹いてくる風圧みたいなものは、やっぱり直に対面した時に初めて心に届くんですよね。ブログやメールについては、まー、日本人は和歌のやり取りで恋が出来た時代もあったし、文字も多様なので、より繊細なニュアンスを伝える事で成立するのかもしれないけど…音は…その場所が鳴っているから、そこに行かないと、ですね
  • 2011⁄02⁄19(土)
  • 13:04

それも・・・

デジタルの功罪、ですな

一人の人間が考えてる事、発した言葉を、地球の裏側に居る人にだって瞬時に届けられるツール・・・これはアナログじゃ絶対に不可能な事だし。
素晴らしい技術だとは思うけど、極端な話 その人が本当に存在しているのかすら判らない怖さもあるし

ちゃんと 「解って」 ないとな
  • 2011⁄02⁄19(土)
  • 20:27

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