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神戸 1.17の記憶

早いもので、もう19年にもなるのですね・・・
何人かの方の証言にもありましたが、あの朝ベッドで寝ていた時 目の前でカメラのフラッシュを焚かれたような気がして目が覚めました。
何か光った? 窓?・・・ん~寝ぼけたかな、そんなワケないかーと再び眠ろうとした途端、ゴゴォーという地響きと共に ものすごい揺れが襲ってきました。
我が家は兵庫県でも一番東の端に位置していて、更に山裾という立地で地盤が固かったのも幸いしたんでしょうか 古民家の割には頑張って耐えてくれましたが・・・
それでも驚いて半身を起こしたままの体制から動くに動けず、ベッドから放り出されそうになる身体を支えるのが精一杯でした。
何が起こったのか確認しようとした時にはもう停電になっていて、電燈もテレビも沈黙したまま★
真っ暗な中で、棚から落ちたオルゴールだけが 不気味にサティの『ジムノペディ第3番』を奏でていたのだけは良く覚えています。

明るくなってからやっと確認した被害の様子は周知の通り、川西の駅前でもあちこちで建物が崩壊していたり ブロック塀が倒れて道を塞いでいたり・・・
開いている店を探して歩く間にも何度か余震の揺れを感じましたし、そこら中で管が破損してガス臭いのも怖かったですね
暫くは炊事もカセットコンロでしたし、遠くまで探しに行っても水が無かったので ペットボトルのお茶で洗面を済ませたりもしていました。
まぁ神戸の中心街に比べれば、何事も無かったに等しい位のものなんですが―――我々のように舞台を生業にしているものにとっては、イベント自粛の嵐で仕事が全部キャンセルになるなど 目に見えない二次被害の方がよほど大きかったと言えます。
直接の被災者ではないので何処からも援助など受けられませんし、生活が逼迫してゆく中でのボランティア演奏やチャリティー活動は 想像以上に過酷なものです。
当時はそれでも JRや阪神高速が寸断され、時にはまだ瓦礫が燻ぶっているような街中を縫って 神戸のキリスト教会を回っていました。
在日のペルー人やボリビア人も多くが被災して そういう場所に一時避難していましたので、心細い思いをしている彼らに 懐かしい祖国の音楽を聴いてもらってたんですね
ちょうど同じ頃、松村組も和太鼓を使って 多分すぐ近くの避難所で演奏活動を始めていた訳です。

長田1.17

多くの犠牲者を出した長田区では 今年も駅前に沢山のキャンドルが灯され、一般市民による追悼が行われていました。
6400名というと あまりの数に具体的なイメージも湧きにくいものですが、我々が毎年本公演をさせて頂いている神戸文化ホール―――あの大ホールに2階席までお客さんが満杯になった状態の3倍以上、ということですもんね・・・。
昨日は太鼓だけの追悼演奏を駅前で終えたあと、北海道公演の実行委員長を交えての新年会議
今年の北海道ツアーの日程や 20周年に向けた話し合いも行われましたが、やはりこの日に神戸の地を訪れた意味というものも 実行委員長は噛み締めておられました。
東北の被災地も、メディアで伝えられてきたことがほんの一部に過ぎないことが 実際に行ってみて初めて解ったりします。
もう高校生でも実際の震災は知らないほどの年月が経ちましたが、様々なことを伝えていかねばならない立場になってきたことを 我々も改めて考えさせられました。
近々の自然災害だけでなく、戦争の事だって語り継がねばならないのに・・・長年関西に暮らしている人間ですら、大阪の大空襲だけで11万人もの一般市民が犠牲になったことは 『想像もできない』 遠い記憶になりつつあるんですから★
「忘れてはならない」 と皆で声を上げながら、現実には 忘れないと踏み出せない一歩がある事も確かです。
駅前のキャンドルきれいだよ~ と友達にメールする女子高生を見ながら、そんなことも考えていた17日でした。
  
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