ヒロシマ原爆の日

昭和20年8月6日 午前8時15分。
広島の中心地に人類史上初めての核爆弾が投下されてから 70年が経ちました。
もちろん僕はまだ生まれていませんでしたし、実際の被害どころか 戦争の何たるかすら知りません。
でも考えてみれば 非常に微妙な年代であると言えなくもないんです

僕が生まれたのは日本が高度成長期に向かう 平和な時代であるとは言え、終戦から僅か13年しか経っていません★
13年前といえば本当に 『ついこの間』 の話ですし、実際僕が小さい頃には阪急電車の駅前で 傷痍軍人の方が物乞いに身を窶しておられる姿がまだ見られました。
ボロボロの軍服を着た片足の無い人が 松葉杖を脇に置いて道行く人に土下座をしている姿は、子供だった僕には気味の悪い存在でしかありませんでしたが・・・
今になって思うと 何と酷い話なんだろう、と心が痛くなります
昨年無くなった父も たまたま学徒出陣の年齢には達していなかったというだけの話で、もう少し戦争が長引けば 南太平洋でアメリカの艦船に突っ込んでいたかも知れません。
そうなれば当然 僕も存在しなかった訳ですから、過去の戦争と言うには余りに身近に思えてしまうんですね。
少年キングとか少年ジャンプなどのマンガ雑誌も 平和の象徴のように全盛期を迎えていましたが、ギャグ漫画と肩を並べていたのは 「ゼロ戦隼人」 や 「紫電改のタカ」 といった戦争ヒーロー物でした。
今なら “歴史の歪曲、戦争礼賛である” と韓国や中国が言い出す前に 発禁処分になるところですが・・・

もうひとつ 身近に思えてしまう大きな要因は、渡部家の墓が広島の中心部にあるということかも知れません。
以前にも一度ブログに上げましたが、爆心地の原爆ドームから歩いて数分と言う場所にありますので 熱線と爆風で墓石がボロボロの状態でした
検事であった祖父は 日本中を点々とする生活を送っていましたので、幸い―――というと何ですが 当時広島には居なかったんですね。
今でも墓参りで広島に赴くたび、街中を流れる涼しげな川が 全身焼け爛れながら水を求める人々や、累々たる死体で埋め尽くされていた事に思いを馳せてしまいます。
具体的に何を知っているわけでもありませんが、美しく整備された広島の街は 僕にとって死というものと直結した場所なんです。

原爆ドームに隣接した平和記念公園の中心には、こう書かれた石碑が立っています。
『安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませんから』
一時はこの文章の主語を巡って 論争が巻き起こったこともありますね。
禁断の兵器、原爆を使ってこの事態を引き起こしたのはアメリカじゃないか、と言いたい人も中には居るのでしょうけど・・・
確かに戦争末期、アメリカも人間として正常な判断力を失っていた事は確かでしょう。
一瞬で14万人の命を奪ってしまう まさに悪魔の兵器と呼べる爆弾の使用を実行したばかりでなく、広島ではウラン型・長崎ではプルトニウム型で威力を試すという 究極の人体実験までやってしまったんですから。

でも日本だって―――実はその原爆を作ろうと必死になっていたんですよね★
単に研究開発で遅れを取っただけで、日本の方が早ければ使っていたのはこちらの方かも知れないという事実は あまり語られてきませんでした。
当時原爆の研究を任されていたのは 理化学研究所。
あの理系女子の小保方さんだって、世が世ならアメリカ市民の上に落とす原爆の研究をしていたかも知れないんです。
実際に計画があったわけでは勿論ありませんが、当時世界最大・最先端の潜水空母 “伊400” 搭載の特殊攻撃機 『晴嵐』 に もし配備されていれば、決して有り得ない話ではありませんでした。
超巨大潜水艦 伊400は実際にアメリカ西海岸を砲撃できた唯一の艦船でしたし、パナマ運河を破壊するという極秘計画とその能力もありましたから。
要は経済的な物量と時間の差でしかなかった訳ですね

長々と書いてしまいましたが・・・
今日8月6日は、原爆の犠牲者を悼む日でもなく 悪魔の兵器を使用したアメリカを責める日でもなく、単純に戦争反対を叫ぶ日でもありません。
人間というものが如何に儚く愚かで 過ちを繰り返してしまう危険性を持った存在なのか、世界中で改めて認識すべき日なのだと思います。
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文化・歴史

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