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月のウサギ

ゴールデンウィークも終わって、世の中はまた普段の静けさを取り戻したようです。
東北の大震災で 節電だ自粛だと騒いでいた割には、レジャーに出掛ける高速道路の大渋滞は 例年と少しも変わらなかったように思えます。
いや、別に変わり身の早さとか 言動の乖離性を非難しようって訳じゃありません
以前記事にも書いた通り 日本経済そのものを停滞させるような自粛風潮には大反対ですし、元気な地方や人は より元気で居なくてはまともな支援さえ出来なくなると考えています。
だからと言って、政府の災害対策責任者がこの時期に 海外でゴルフに興じている事まで許されるとは 決して思いませんが・・・

この連休中は、チャリティーコンサート関係で 落ち着かない日々を過ごしていました。
物理的に奔走していた忙しさもありますが、それよりも 「チャリティー」 という錦の御旗そのものに 色々と疑問を感じてしまって、“精神的に落ち着けなかった” と言うのがホンネです。
阪神淡路大震災の時もそうでしたが、普段は全く付き合いもなく イベントを企画してくれたこともないようなプロダクションなどから次々とオファーが掛かります。
「イベントに御出演願えませんか? 勿論チャリティーですから、売り上げは全額寄付になりますが」
・・・まるで当然であるかのように。

お客さんは いつものように我々の音楽を聴いて、更にそのチケット代が義援金になるなら、と喜んで沢山来て下さいます。
24時間テレビのように、企画側や出演者も一体となった 支援の輪が広がる・・・ところがこの 「感動的な」 イベントには、時としてあちこちに落とし穴が潜んでいたりもするんです。
誰かが中心になってやらなければ それこそ何も始まりはしませんし、出演者も含めて 「売名行為だ」 と揶揄されるような事はあっても 決して社会的に間違った活動をしているわけではありません。
でもこんな時だからこそ、そういうイベントだからこそ、必要以上に目を配って考えなくてはいけない側面も 常に孕んでいるものじゃないでしょうか。

企画側は、通常なら何十万もかかる会場費を無償にすることで チャリティーの場を提供している訳ですが・・・。
企業のイメージアップに要する宣伝費に比べれば これは微々たるもので、逆に人が集まることで隣接したショップやレストランの売り上げは 通常より伸びていたりします。
有名な出演者や舞台に関わるスタッフ―――これはその多くがプロダクション形態であり、月給制なので ノーギャラと言っても 個人的にはあまり影響がありません。
意図しているか否かに関わらず、好感度を上げる宣伝要因になるというのも また確かなことです。
そんな中で 本当に手弁当のボランティアになってしまうのは、実は我々のような無名アーティストや 個人経営の音響スタッフだけなんですね。
社会通念としての立派な行いをしていることには変わりなく、正論であることにも間違いはなくとも、そんなことが続けば 我々は本当に生活が出来なくなってしまいます。
もしかしたら、「え? こんな時なのに出演料は取るの?」 と思われた方も 中にはいらっしゃるかも知れません。
でも・・・全国のコンビニに対して 「これだけの非常時なのに 電池や食料をどうして無料で配らないのか」 とクレームをつける人は まず居ませんよね。
ただ、我々の生活の糧である音楽には 形というものが存在しないので、いとも簡単に言われてしまうだけのこと。
(誤解を受けるといけませんので加筆しておきますが、以前お蕎麦とフォルクローレのコラボでチャリティーを企画された 難波「そばよし」の会長さんは、当日の会費50万以上を全て寄付されたばかりでなく 出演者の我々にも 別途自費でのお気遣いを頂きました。 お陰様で、我々も更にその中から募金することが出来ました。)


月うさぎ


「月のウサギ」 という仏教説話を御存知でしょうか?
それはインドにゴータマ・シッダールタ、お釈迦様がお生まれになる ずっと以前のこと―――
山奥で暮らしていた 猿・狐・兎の三匹が、飢えで死にかけている老人を見つけ 何とか助けようとします。
猿は木の実や果物、狐は魚などをすぐに獲ってきますが・・・兎には何ひとつ出来る事がない。
そこで火をおこし、「私を食べてください」 と燃え盛るその中に自らの身を投じるのです。
老人は実は帝釈天の化身で、この兎の行為を後世まで讃える為月に上げてやった・・・というお話。
因みにこれは 「ジャータカ」 という 仏陀の前世徳を描いた書物に出てくる説話で、今昔物語集などにも転記されています。
つまり 自分の命を捧げて老人を救おうとしたこの兎こそが、後に生まれ変わって衆生を救うことになる 釈迦の前世の姿であった・・・という訳ですね。

例えば、充分な食料を持っている人が 自分の食べる分を少し減らして困っている人に分け与える・・・これは誰が見ても 社会的・人間的に正しい行為だと言えるでしょう。
でもロクな貯えも無く、自分や家族が食べるギリギリの量しか無いのに それを全部他人に差し出してしまうのは、これはある意味 自殺行為としか言いようがありません。
「自己犠牲」 という超人的な宗教観念のもとに考えるのなら、それも正しいのかもしれませんが・・・。
そんなことを続けていたら 屋根やとりあえずの食料は確保されている避難所、そこで暮らす被災者の方々より 更に悲惨な生活を強いられる羽目になってしまうのも また間違いないことです。
それを 「当然のこと」 とする企画者や社会風潮とも、やはり闘って行かざるを得ないと感じています。

やはり僕は・・・月のウサギにはなれそうにありません





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雑記・日常

Comment

我が道を

 久しぶりです。
 情況は実にきゅうくつで、住みにくい。
 まさに免罪符を買わなければ村八分の様相。ぼくらの国の風土かな。
 みんな臆病で、周りをこまめに見ながら生きているんじゃないかな。
 
 自分の道をどうぞ迷わず歩んでください。応援します。
 
 
 
  • 2011⁄05⁄08(日)
  • 10:37

御無沙汰しております!

コメント有難うございますe-454
大きな流れと生活不安の中、まさに孤軍奮闘ともいえる状況ですので・・・
そう言って頂けるのは本当に有難く 心強いですe-466
道を見失うことなく、頑張ってゆきたいと思っています。
  • 2011⁄05⁄10(火)
  • 00:41

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