雲中供養菩薩
- 2011⁄05⁄16(月)
- 01:49
フォルクローレに傾倒してスペイン語を学び始め、憧れの南米大陸への切符をようやく手にした頃・・・
その大学時代の殆どを 僕は京都で
過ごすことになりました。
何もかもが新しい環境の中、地球の裏側の異文化にも触れ 視野を広げて行く一方で、何千年も変わらない佇まいと伝統を見せつけてくれる京の町並み。
もしかしたら その影響も少しはあるんでしょうか、自分の中の 「日本人の血」 に思わぬ変化が現れ始めたのも ちょうどその頃です。
宝探しのように熱中して周りを掘り進めた結果、ふと気付くと 最初から埋まっていた堅固な岩が姿を現していた・・・という感じでしょうか。
アンデスの音楽文化や インカ帝国の遺跡への憧憬と同じ速度で、日本の古い文化に対する興味も 並行して深まってゆきました。
授業やゼミでスペイン語を学び 課外サークルではフォルクローレ活動、その行き帰りには 4年では到底回りきれないほどのお寺巡り
ま~何ともシブ好みの学生ですが・・・今考えると めちゃめちゃ贅沢な大学生活でしたね

その中でも、宇治にある世界遺産 平等院―――お気に入りスポットは それこそ数え切れないほどありますが、ここは特に思い入れの深い場所のひとつです。
今はちょうど八十八夜も過ぎた頃、閑静な宇治川沿いの参道は 新茶を焙じる芳しい香りでいっぱいでしょうね
近年大規模な改修を終えたばかりの鳳凰堂内部天井や 阿弥陀如来坐像も勿論見所ですが、僕が一番感銘を受けたのは 何と言っても上部の壁面、阿弥陀如来の周囲を取り囲むように配置されている 『雲中供養菩薩』 です

阿弥陀如来像と同じく約1000年前に造られた 全50体以上を数える仏像群なのですが、その造型は どっしりと構えた仏像が主流の時代にあって 実に柔和で繊細なフォルムを持っています。
たなびく雲に乗り 様々な楽器を携えて楽しげに演奏するその姿には、荘厳よりも 「流麗」 という表現がぴったり
実際に動いている一瞬を切り取ったかのような 人間的な表現に溢れているのも魅力ですが、菩薩という堅苦しいイメージを何とも軽妙に打破してくれる 親近感に満ちた存在でもあります。
これはシルクロード・敦煌などの壁画に見られる 飛天の流れを汲んだもので、華やかな音楽と極彩色に溢れた阿弥陀浄土の世界を顕しているのですが・・・
音霊(おとだま)の力で死者の魂を供養していくという 古代からの精神性にも、特に今の時期 改めて心惹かれるものを感じてしまいます。
もともと羽衣を纏った天女とも同一視されていたからなのか、写実性を通り越して 女性的な艶めかしい印象さえ受けてしまう・・・と言うと ちょっと不謹慎に過ぎるでしょうか。
でも事実―――広隆寺の弥勒菩薩半跏像なんかもそうですが―――時として仏像は 実に色っぽい
造詣美になってしまうことがありますよね☆

もしかしたらこのことが、戒律の特に厳しいイスラム教などで 「偶像禁止」 という概念にも繋がっていったのかもしれないなぁ、ナドと思ってしまいます。
だからって何も、他の国の大切な文化遺産である 石窟仏まで破壊して回るこたぁないと思いますけど


中でも特に惹かれてしまったのが この写真の飛天たち・・・ケーナとサンポーニャの奏者も居て、まるでフォルクローレ楽団みたいでしょ?
実は縦笛の方は 『洞笙』、サンポーニャみたいな楽器は 『排蕭』 といって、楽器としての原理は それぞれ全く同じものです。
発祥地については諸説ありますが、両方とも遥々シルクロードを通って ちゃんと日本にも現物の楽器が伝えられています。
洞笙は一般にも広く愛され、日本人の趣向に合う改良が加えられて 尺八の原型となってゆくのですが―――排蕭の方は 一体何が気に入らなかったのやら・・・
日本に伝えられた楽器の中でも、けたたましい音を出す真鍮製の打楽器や 雅楽に相応しくないと判断された笛などは 全て正倉院に封印されてしまったんです
音色だけでなく、大篳篥(おおひちりき)など 「演奏する顔が見苦しい」 という理由だけで カットされる運命になった楽器もありました。
個人的には 排蕭の音が下品だとは決して思いませんが・・・単純に 当時のエライさんの趣味には合わなかったって事なんでしょうね
結局 これらの楽器が正倉院から出されることは遂に無く、ものによっては 用途不明の宝物として1000年以上も眠ったままになってしまいました。
惜しいなぁ・・・是非とも音を出してみたい楽器なのに
供養菩薩が持っているということは、魂を慰めるにも相応しい音色を出す 天上の楽器だとされていた訳ですしね。
ちゃんと蔵から出されていれば、もしかしたら シンバル系のチャッパのように 大衆の祭りには受け入れられていた可能性だってあります。
現代日本でも、排蕭奏者が 普通にライヴとかしていたかもしれませんよね☆ あ~、勿体ない。
その大学時代の殆どを 僕は京都で

何もかもが新しい環境の中、地球の裏側の異文化にも触れ 視野を広げて行く一方で、何千年も変わらない佇まいと伝統を見せつけてくれる京の町並み。
もしかしたら その影響も少しはあるんでしょうか、自分の中の 「日本人の血」 に思わぬ変化が現れ始めたのも ちょうどその頃です。
宝探しのように熱中して周りを掘り進めた結果、ふと気付くと 最初から埋まっていた堅固な岩が姿を現していた・・・という感じでしょうか。
アンデスの音楽文化や インカ帝国の遺跡への憧憬と同じ速度で、日本の古い文化に対する興味も 並行して深まってゆきました。
授業やゼミでスペイン語を学び 課外サークルではフォルクローレ活動、その行き帰りには 4年では到底回りきれないほどのお寺巡り

ま~何ともシブ好みの学生ですが・・・今考えると めちゃめちゃ贅沢な大学生活でしたね


その中でも、宇治にある世界遺産 平等院―――お気に入りスポットは それこそ数え切れないほどありますが、ここは特に思い入れの深い場所のひとつです。
今はちょうど八十八夜も過ぎた頃、閑静な宇治川沿いの参道は 新茶を焙じる芳しい香りでいっぱいでしょうね

近年大規模な改修を終えたばかりの鳳凰堂内部天井や 阿弥陀如来坐像も勿論見所ですが、僕が一番感銘を受けたのは 何と言っても上部の壁面、阿弥陀如来の周囲を取り囲むように配置されている 『雲中供養菩薩』 です


阿弥陀如来像と同じく約1000年前に造られた 全50体以上を数える仏像群なのですが、その造型は どっしりと構えた仏像が主流の時代にあって 実に柔和で繊細なフォルムを持っています。
たなびく雲に乗り 様々な楽器を携えて楽しげに演奏するその姿には、荘厳よりも 「流麗」 という表現がぴったり

実際に動いている一瞬を切り取ったかのような 人間的な表現に溢れているのも魅力ですが、菩薩という堅苦しいイメージを何とも軽妙に打破してくれる 親近感に満ちた存在でもあります。
これはシルクロード・敦煌などの壁画に見られる 飛天の流れを汲んだもので、華やかな音楽と極彩色に溢れた阿弥陀浄土の世界を顕しているのですが・・・
音霊(おとだま)の力で死者の魂を供養していくという 古代からの精神性にも、特に今の時期 改めて心惹かれるものを感じてしまいます。
もともと羽衣を纏った天女とも同一視されていたからなのか、写実性を通り越して 女性的な艶めかしい印象さえ受けてしまう・・・と言うと ちょっと不謹慎に過ぎるでしょうか。
でも事実―――広隆寺の弥勒菩薩半跏像なんかもそうですが―――時として仏像は 実に色っぽい


もしかしたらこのことが、戒律の特に厳しいイスラム教などで 「偶像禁止」 という概念にも繋がっていったのかもしれないなぁ、ナドと思ってしまいます。
だからって何も、他の国の大切な文化遺産である 石窟仏まで破壊して回るこたぁないと思いますけど



中でも特に惹かれてしまったのが この写真の飛天たち・・・ケーナとサンポーニャの奏者も居て、まるでフォルクローレ楽団みたいでしょ?

実は縦笛の方は 『洞笙』、サンポーニャみたいな楽器は 『排蕭』 といって、楽器としての原理は それぞれ全く同じものです。
発祥地については諸説ありますが、両方とも遥々シルクロードを通って ちゃんと日本にも現物の楽器が伝えられています。
洞笙は一般にも広く愛され、日本人の趣向に合う改良が加えられて 尺八の原型となってゆくのですが―――排蕭の方は 一体何が気に入らなかったのやら・・・
日本に伝えられた楽器の中でも、けたたましい音を出す真鍮製の打楽器や 雅楽に相応しくないと判断された笛などは 全て正倉院に封印されてしまったんです

音色だけでなく、大篳篥(おおひちりき)など 「演奏する顔が見苦しい」 という理由だけで カットされる運命になった楽器もありました。
個人的には 排蕭の音が下品だとは決して思いませんが・・・単純に 当時のエライさんの趣味には合わなかったって事なんでしょうね

結局 これらの楽器が正倉院から出されることは遂に無く、ものによっては 用途不明の宝物として1000年以上も眠ったままになってしまいました。
惜しいなぁ・・・是非とも音を出してみたい楽器なのに

供養菩薩が持っているということは、魂を慰めるにも相応しい音色を出す 天上の楽器だとされていた訳ですしね。
ちゃんと蔵から出されていれば、もしかしたら シンバル系のチャッパのように 大衆の祭りには受け入れられていた可能性だってあります。
現代日本でも、排蕭奏者が 普通にライヴとかしていたかもしれませんよね☆ あ~、勿体ない。
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兄者ならば
そのうち宝物様と引き寄せ合える気がする