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芸歴40年!?

先日、久々のピン仕事で 池田の呉羽小学校へ行ってきました
僕が通っていた同じ池田市内の有名校で、母校ではありませんが 実は昔から何かとご縁の深いところ。
学校公演というと通常は体育館が会場になるんですが、ここは他に音楽堂と呼ばれる中ホールも有しているという とても珍しい小学校なんです
数年前に亡くなった大先輩、コンガの名手であった古谷哲也さんと御一緒させて頂いた、懐かしい場所でもあります。
ここの校庭で、公演が終わったあと 愛用のコンガを譲って頂いたんですよね・・・

そんな懐かしさもありましたが、今回は更に記憶を一気に遡る タイムマシンのようなフラッシュバックがありました
僕が出演したのは 「震災復興支援ファミリーコンサート」 の特別ゲストコーナー。
(まぁ、特別と言ったって 池田市出身のミュージシャンでござい、ってだけの話なんですけど ^^;)
主催されていたのが 退職教職員の方々で構成される 『教友会』 という機関だったのですが、その代表理事が・・・何と出身校の先生
担任ではありませんでしたが、当時・・・教頭先生だったか学年主任だったかな、実に怖いという印象の先生でした。
都合の悪い事に関しての記憶は 人間あんまり定かじゃありませんが、とにかくもう色んな先生に しょっちゅう叱られてましたね~ σ(^^;)
週に一度は 母親が呼び出し喰らってたという悪ガキでしたから・・・
他愛ない子供の悪戯の範疇ではあったんですが、校内の何処かで備品が壊れていたり 床が水浸しになっていたりすると、 「またワタナベ君かっ!」 って真っ先にノミネートして頂けるくらい。
(まぁ・・・大概はそうだったんですけどね

当時の年齢から考えて 既に80歳前後ではいらっしゃると思うのですが、矍鑠として お顔の印象もあまり変わらないような気がしました。
そこから暫くはリハーサルそっちのけ、40年前の懐かしい話に花が咲いたのですが・・・
僕が小学校5年生の時といえば、ちょうど1970年―――あの大阪万国博覧会が開催された年です。

expo70a1.jpg

今では記念公園の中に寂しげに立っている 「太陽の塔」 も、当時は全国的大フィーバーの中心で 会場正面ゲートもここにあったんですね。
周りは大屋根で囲われ、その下のお祭り広場では 連日様々なイベントが開催されていました。
いや~、懐かし過ぎる (^^;)

お祭り広場

中でも国際博覧会として重要な催しだったのが、“ナショナルデー” と呼ばれるものです。
これは世界各国がそれぞれの音楽や踊り、伝統のフェスティバル再現などで自国のアピールをするイベントで、例えば 「今日はインドのナショナルデー」 という日には、大編成のインド舞踊のお姉さん達や象さんのパレードなどで お祭り広場が一日中 インド一色に染まった訳です。
各国からのプロ楽団や舞踊団だけでなく、交流を深めると言う視点から 必ず日本の子供たちが何らかの形で参加していたのも象徴的でした。

当時 各小学校には、ブラス楽器やドラムチーム、バトン隊も備えた 「トランペット鼓隊」 というものが存在していました。
今でもそうなのか確認はしていませんが、運動会などの学校行事や対外セレモニーなどでも活躍していた楽隊で・・・実を言うと僕は、そこでトランペットを吹いていたんです
クラブ活動みたいなものですが、千里丘から近いこともあって 時には月に何回も色んなイベントへの出演があり、その度に万博会場を訪れていました。
いま考えると贅沢なガキですね~、何せそのお陰で 開催中には何十回も行っているくせに、一度も正規ゲートからは入っていないんですから★
いや、それはさておき・・・そんな事情で 池田や豊中の各小学校トランペット鼓隊には、ナショナルデーに参加する為の割り当てがなされました。
その時に抜群のセンスと演奏で あらゆる小学校のトップに君臨していたのが・・・呉羽小学校だったんですね~コレが。
既に当時から音楽堂もありましたし、おそらく音楽教育に関しては 並々ならぬものがあったのではないかと
子供ながらに悔しかったのを覚えていますが、彼らが担当したのは アメリカ合衆国のナショナルデー。
同様に他にも、有力な学校のチームから順番に ドイツやフランスといった大国が割り当てられてゆきました。
そしてわが母校に回ってきたのは・・・何とアルゼンチンのナショナルデーだったんですね
別にその頃から南米に興味があったわけでも何でもありませんが―――不思議なご縁はあったのかなぁ。

アルゼンチンNday

これは万博の公式記念写真集、アルゼンチンのページに ちゃんと載っている写真。
一番左で (半部切れてますが) 金色のトランペットを吹いているのが 僕です。
現地からのミュージシャンとして、アルゼンチンを代表するタンゴ楽団 「ホセ・バッソ」 と、北部のフォルクローレアーティストも来日していました。
録音を聴くと シブいミロンガやビダーラなんかも演ってますし、一緒に演奏した BANDERA MIA (私の旗) という曲は 今にして思えばマランボ。
勿体ないと言えばそうですけどね~、今みたいに リズムも言葉も理解できるようになってから出逢いたかったなぁ・・・。
あのホセバッソ楽団も、アルゼンチン館の地下にあったレストランで 毎晩演奏していたんですから、今では考えられない贅沢ですね

オマケですが、1970年のある晩 あそこで 「黒ネコのタンゴ」 を歌っていた小学生は―――僕だったりします
仲良くなったメンバーに無理やり引っ張り出されたんですが・・・天下のホセバッソをバックに黒ネコのタンゴって
やっぱり色んな意味で、とんでもなく ありえない時代だったんですね~☆
 





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仕事・舞台

Comment

日本って

世界中から愛されていたんじゃないかな~って思います…もちろん様々な思惑はあったでしょうけれどお写真拝見すると、華やかで明るくて、希望が溢れていますね。うーん、人混みは苦手ですが、このような楽しい博覧会なら、行きたいと思います。
  • 2011⁄06⁄21(火)
  • 09:38

あの時代の

明るさとパワーは、もはや日本人にも真似できんのではあるまいかe-263e-454
政治家も実行力あったしね・・・。

何時間も並ぶのはヤだけど、今ならもっと色んな楽しみ方が出来るかな~e-343
  • 2011⁄06⁄22(水)
  • 00:18

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