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震災から1年

このブログを書き始めて間もない頃 あの東北大震災が起こり、日本中が経験したことのない混乱の中で早くも1年が経ってしまいました。
被災地では復興が進み始めたような報道もある一方、あの日以来瓦礫の撤去や行方不明者の捜索すら出来ないまま 何一つ変わっていない地域もあります。
福島の原発も 政府の大ウソ終息宣言とは裏腹に、現場では今だに原子炉の再暴走を必死になって食い止めようとしている状態が続いています。
昨日も各地で様々な追悼集会が開かれましたが、仮設住宅に非難を余儀なくされている方々をはじめ 現地ではまだまだ 『それどころではない』 現実と共に日々を過ごしている人が大多数です。

「がんばろう東北」と「絆」を合言葉に 一致団結したかに見える日本各地でしたが、その実情けなくなるような事柄も多かったですよね
自分のことしか考えず 物資や株の買占めに走る輩、混乱に乗じて起こる詐欺やいたずら、デマの類。
放射能への誤解と恐怖から いざ被災地の瓦礫や薪を身近に受け入れる段になると反対運動が巻き起こったり・・・
避難してきた人への差別的な発言や、極端な例では福島ナンバーの車が止まっていたりするだけで 苦情を申し立てる人まで現れる始末。

僕の場合も直後からの自粛風潮でイベント関係が全滅、苦しくなる一方の生活に焦りと恐怖を感じつつも 唯一出来ることとして 各地でのチャリティーコンサートを通じて義援金を送り続けてきたんですが・・・
何が正しいことで何処までが仕方の無いことなのか、闘うべきものは一体何なのか、考えさせられる局面も本当に多かった気がします。
音楽と言うものの有効性と共に、それを紡ぎ出す音楽家を含めた無力さも実感しました。
チャリティーを企画する側が社会的に見て正しいことは間違いなくても、それを錦の御旗にすることで また新たな弱者が犠牲を強いられるのだということ。
イベントの中心になって頑張る 我々の生活まで省みてくれる存在などはある筈もなく、自粛の風潮に抗うと共に 形の無い音楽と演奏家の権利も主張し守らねばならないのだということ。
事あるごとに、このブログにも綴ってきました。

でも同時に、その姿勢とモチベーションを保ってゆくのは容易ではないことに 当たり前ですが改めて気付かされた一年でもありました。
被災地に支援を送り続ける一方で 見えない圧力や偏った常識までもを相手に闘わねばならない大変さは、重々解っていたつもりだったんですが・・・
同じ条件と立場で一緒に頑張ってきた筈の仲間ですら、自分の生活に事が及んでくると 平気で態度を変え始めたりするんですね
苦しい闘いの最中に 後ろの味方から矢が飛んでくるようなもので、これほど情けなく 哀しいことはありません
それとも・・・やっぱり最初から一人だった事に 気付かなかっただけなんでしょうか。

ちょっと暗くなっちゃいましたけど、勿論そんな話ばかりじゃないのも事実。
実際の演奏を聞いて 元気になりました、気持ちがリセットできましたと 涙を浮かべて感謝して下さる方が居る限りは、たとえ一人でも まだまだ頑張れそうな気がしています
ちょうど一年目にあたる昨日も、和歌山県の橋本市でチャリティーコンサートを催してきました。
他でも沢山の追悼イベントが企画されていたからでしょうか、通常よりはお客さんの入りも伸びてくれませんでしたが・・・それでも会場のアザレアや 昨年来お世話になっている貝塚コスモスシアターからの御協力も頂いて、節目としての良い公演になってくれました
知名度も無い草の根で動き続けている以上 どうしても限界はありますし、こういう時にこそ神戸を始めとする市政が もっと積極的に動いてくれると嬉しいんですけどね~。

1年前の震災の日に行くはずだった福島へも、この週末から激励演奏に訪れることになっています。
ずっと被災地の為に何か出来ることを実行しに行く、というつもりでいましたが―――実は自分がやってきたことの意味と存在価値を探して、何かを教えて貰いに行くのが本当の処なのかも知れませんね★ 
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雑記・日常

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