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魂振 (たまふり)

古来 日本人が言葉も含めた『音』というものに特別な力を感じ、神霊との交信や邪悪なものを遠ざける為に 様々な試みと工夫を凝らしてきたこと、そしてそれは 現代の我々の生活の中にも連綿と受け継がれていることを書いてきました。
特に○○教・☓☓宗の信者ではないという人でも、縁起の悪いことを連想させるような言葉にだけは 妙に敏感だったりする。
尤もこれは、分類するとしたら 宗教というよりは民俗学に近いものなのかもしれませんが・・・
仏教や密教・古神道が その地位を築くよりずっと以前―――もしかしたら 弥生や縄文よりも古代から、この国に 音に対する特別な信仰があったことは確かなようです

そして同時に、これも古くから 音を使って相手の魂を活性化させたり 鎮めたりしようとする考え方がありました。
神霊や福を招く・場を清める・魔を祓うなどという 他の音霊に見られる性格とは、明らかにちょっと違う目的が感じられます。
これが 様々な音霊の中でも特別に 「魂振=タマフリ」 と呼ばれる、もうひとつの古代信仰の核となるものなんです。

音霊の一例として、魏志倭人伝に記された日本の古い習慣 “柏手” についてお話しましたが・・・あれが 「魂振」 の原型だと考えられています。
この場合は 手を打ち合わせる音を使って、対象となる魂に活性を取り戻して 元気になって頂こうとする考え方ですね。
人間同士の習慣としては 早くに廃れてしまったようですが、神様に対してだけは 今でもちゃんと神社に残っている、という訳です。
実は その前にガランガランと鳴らす大きな鈴も、①神の降臨する場所を示し ②場を清め ③神を呼ばう というご大層なことを 3つも同時にやっちゃえるという、何ともお手軽な音霊だったりするんですが (^^;)
神社の中で聞くことのできる様々な音の中でも、この鈴や雅楽の音などは ごく一般的な音霊の使われ方だと言えるでしょう。
でも柏手だけは、魂振として 「元気な良い神に変わる」 ように働きかける訳ですから、やはり特別なものであったと考えられます。

年に一度、神様を本格的に活性化させようという大切な祀りの場面には、もっと直接的な手段も 並行して用いられました。
それが今でもお祭りでは必ず担ぎ出される 神様の乗り物・・・お神輿ですね。
ワッショイ・ワッショイという威勢のいい掛け声と共に激しく揺すられるのは、一年間休んでいた神様に起きて頂かないと困るからです。
祭りによっては お神輿同士を激しくぶつけ合ったり、中には川に放り込むなんていう 乱暴なパターンもありますけど
文字通り 「魂を振って」 神様に元気を取り戻して頂き、願いを聞いて貰いたいという 切なる気持ちに変わりはありません。

「音による活性化」 という考え方は、なにも日本の専売特許ではなく 古くから世界各地にあったようです。
士気を鼓舞する、という表現があるように ギリシャでもオスマン帝国でも 軍隊では必ず太鼓やラッパの音が使われてきました。
かの賢人ピタゴラスも 「音楽は魂を 異次元へと昂揚させ、そして調律する」 という言葉を残しています。(数学定理で有名なヒトなので、ちょっと意外にも思えますけど
もっと身近な処では、あのスーッとする快感が堪らない ヘアトニックやジン・トニックなどの 「トニック」 という言葉がそうですね
TONIC と書きますが、この単語に含まれているTONEというのは、「ハイ・トーン」 や 「トーンダウン」 に使われるように “音” のことです。
元気をもたらすもの、という意味を持つトニックが 音からきているなんて―――まさに魂振、音による活性化ですよね
人類は太古の昔から、音の力をちゃんと知っていたんでしょうか・・・。 

他にも、古代の日本には 「魂呼ばひ」 或は 「もがり」 と呼ばれる習慣がありました。
古事記などの記述にも出てきますが、これは亡くなった親族などを 一定期間埋葬せず、生活圏から離れた 喪屋(もがり小屋)という場所に安置しておくものです。
そのまま埋葬して放置しておくと魔物に変ずるので それを防ぐためだったともされますが、その折には 死者の耳元で ずっと本人の名前を呼び続けたと言われています。
これも声によって魂を浄化すると同時に、活性化させて生き返ることをも期待した 一種の魂振だと考えられているんですね。

真夏の夜、最後にちょっと涼しくなるような話になってしまいましたが・・・
いにしえより続く、活力への祈りと 魂振に関わる儀式。
そのために特殊な音や声・楽旋律などの 「音霊」 が様々に試行洗練され、使われてきました。
科学的に解明されないまでも、やはりそこには 音の力を認めざるを得ない何かが存在するんだろうと 素直に感じてしまいます。

神霊や魂を活性化させるなんて 大仰に捉えなくとも、例えば お寺の鐘の音や川のせせらぎに心癒される体験だけでも 充分なんです。
好きな音楽を聴いて涙したり、元気になったり・・・これだって立派に “魂振られて” いることになる訳ですからね

僕の演奏も 尺八の世界で言う処の 「一音成仏」 の境地には まだまだ到達できそうにありませんが・・・
仮にも音を出すことを生業にしている以上、発するものには責任を持たなくちゃいけないなぁ―――と 改めて思う次第であります
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