HIROSIMA
- 2012⁄09⁄07(金)
- 02:55
残暑と言うには まだまだ暑過ぎる最中、広島へと赴いてきました (^-^)
ローマ字でHIROSIMAと書くと、反射的に終戦記念日やギラギラと
照りつける真夏の日差し、そして原爆のことをイメージしてしまいますが・・・
実は我が渡部家先祖代々のお墓、あの原爆ドームから直線距離で500mほどの場所にあるんです。
そのせいで、つい30年ほど前までは 墓石が熱と爆風でヒビだらけのボロボロ状態のまま

どうして誰も改修しようとしなかったのか、実にバチ当たりな話ではありますが―――お参りにも殆ど行かず、放ったらかしに近い状態だったんです
物心ついてから、それはいくら何でもマズいだろうと 一人でお墓参りに広島を訪れるようになりました。
初めて訪れた時、墓石の横に刻まれている数人の名前を見て 改めて愕然としたのを覚えています。
我が家のお墓である筈なのに・・・祖父を除いて、僕は誰一人として その名前を知らなかったんですね
その祖父にしても、父が若い頃に他界していますので 名前を聞かされていただけで 実際には顔も知りません。
親から上の御先祖が、ほぼ全くの空白と言っていい状態・・・これは 諸々の理由があったにしても、ちょっと異常に思えます。
今更ながら、ではありましたが それから可能な限りの戸籍謄本を取り寄せ、遠い親戚を探し当てて訪れては 昔の話や姻戚関係を尋ねて回るという作業を繰り返しました。
それを待っていてくれたかのように、訪ねた後 すぐに亡くなってしまう方もいらっしゃいましたが・・・お陰で、ギリギリ家系図を埋めるのには間に合ったようです
以前の記事に書いた、広島から北海道へ開拓移民団の指揮者として入った陸軍少佐が 僕の曽祖父であったことも、この調べでやっと判ったことなんですね。
今では勿論お墓もキレイに建て替えられていて、我が愛する女房殿も 一緒にお墓参りしてくれるのが恒例になりました。
これで 放ったらかしにされていた御先祖様も、少しは赦してくれるといいんですが・・・
広島へ行くと必ず 軍港があった呉の親戚の処へも顔を出すのですが、最近ではもうひとつ 外せないイベントが増えました。
広島から数十分、電車とフェリーを乗り継いで向かう先は かの有名な日本三景・世界遺産でもある安芸の宮島です

平清盛が篤く信仰・庇護したことでも知られる厳島神社ですが、ここはもともと島自体が御神体で 人が住むどころか 軽々しく上陸することさえ禁じられていた聖地でした。
最近では 観光地として有名になりすぎた余り、どういう神社なのか 良く解らずに来ている人も多いような気がしますけど・・・

海に浮かんだような 荘厳華麗な本殿に祀られているのは、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)―――の、宗像(むなかた)三女神


まぁ・・・平たく言っちゃえば 古代のワダツミ(海の神様)三姉妹、ですね。
沖津・中津・辺津(一番遠い海の沖から陸地の港湾まで)を それぞれ守る神とされています。
このうち、市杵島姫命の 「いちきしま」 というのと厳島はイコールで、「神を斉く (いつく/祀り崇める) 島」 というのが語源です。
ややこしいのは、江戸時代にこの市杵島姫命と 七福神の紅一点・弁財天が同一視されて、一番人気になってしまったこと。
そのお陰で、厳島神社 = 弁財天を祀っている、というイメージが 長い間に定着してしまいました。
宮島といえば、高校野球の応援でも有名になった ごはんをよそう杓文字ですが・・・あれ実は、弁財天が持っている 琵琶の形から来てるんですよね
もともと宗像三女神を祀っていた日本各地の神社も、いつの間にか弁財天か市杵島姫命だけを主祭神として祀るようになってしまったんです。
あとの二人、年上のお姉さんで 市杵島姫命よりも偉い筈なんですが・・・今では殆ど誰も知りませんよね~☆
まるで見てきたかのように、市杵島姫命がダントツの美人だった
とか言われてますし、お姉さんたち怒ると思うなぁ (^^;)
もし行かれる機会があったら、上のお姉さんお二人にも 忘れずにお祈りしてきて下さいね。
ローマ字でHIROSIMAと書くと、反射的に終戦記念日やギラギラと

実は我が渡部家先祖代々のお墓、あの原爆ドームから直線距離で500mほどの場所にあるんです。
そのせいで、つい30年ほど前までは 墓石が熱と爆風でヒビだらけのボロボロ状態のまま


どうして誰も改修しようとしなかったのか、実にバチ当たりな話ではありますが―――お参りにも殆ど行かず、放ったらかしに近い状態だったんです

物心ついてから、それはいくら何でもマズいだろうと 一人でお墓参りに広島を訪れるようになりました。
初めて訪れた時、墓石の横に刻まれている数人の名前を見て 改めて愕然としたのを覚えています。
我が家のお墓である筈なのに・・・祖父を除いて、僕は誰一人として その名前を知らなかったんですね

その祖父にしても、父が若い頃に他界していますので 名前を聞かされていただけで 実際には顔も知りません。
親から上の御先祖が、ほぼ全くの空白と言っていい状態・・・これは 諸々の理由があったにしても、ちょっと異常に思えます。
今更ながら、ではありましたが それから可能な限りの戸籍謄本を取り寄せ、遠い親戚を探し当てて訪れては 昔の話や姻戚関係を尋ねて回るという作業を繰り返しました。
それを待っていてくれたかのように、訪ねた後 すぐに亡くなってしまう方もいらっしゃいましたが・・・お陰で、ギリギリ家系図を埋めるのには間に合ったようです

以前の記事に書いた、広島から北海道へ開拓移民団の指揮者として入った陸軍少佐が 僕の曽祖父であったことも、この調べでやっと判ったことなんですね。
今では勿論お墓もキレイに建て替えられていて、我が愛する女房殿も 一緒にお墓参りしてくれるのが恒例になりました。
これで 放ったらかしにされていた御先祖様も、少しは赦してくれるといいんですが・・・

広島へ行くと必ず 軍港があった呉の親戚の処へも顔を出すのですが、最近ではもうひとつ 外せないイベントが増えました。
広島から数十分、電車とフェリーを乗り継いで向かう先は かの有名な日本三景・世界遺産でもある安芸の宮島です


平清盛が篤く信仰・庇護したことでも知られる厳島神社ですが、ここはもともと島自体が御神体で 人が住むどころか 軽々しく上陸することさえ禁じられていた聖地でした。
最近では 観光地として有名になりすぎた余り、どういう神社なのか 良く解らずに来ている人も多いような気がしますけど・・・

海に浮かんだような 荘厳華麗な本殿に祀られているのは、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)・田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)―――の、宗像(むなかた)三女神



まぁ・・・平たく言っちゃえば 古代のワダツミ(海の神様)三姉妹、ですね。
沖津・中津・辺津(一番遠い海の沖から陸地の港湾まで)を それぞれ守る神とされています。
このうち、市杵島姫命の 「いちきしま」 というのと厳島はイコールで、「神を斉く (いつく/祀り崇める) 島」 というのが語源です。
ややこしいのは、江戸時代にこの市杵島姫命と 七福神の紅一点・弁財天が同一視されて、一番人気になってしまったこと。
そのお陰で、厳島神社 = 弁財天を祀っている、というイメージが 長い間に定着してしまいました。
宮島といえば、高校野球の応援でも有名になった ごはんをよそう杓文字ですが・・・あれ実は、弁財天が持っている 琵琶の形から来てるんですよね

もともと宗像三女神を祀っていた日本各地の神社も、いつの間にか弁財天か市杵島姫命だけを主祭神として祀るようになってしまったんです。
あとの二人、年上のお姉さんで 市杵島姫命よりも偉い筈なんですが・・・今では殆ど誰も知りませんよね~☆
まるで見てきたかのように、市杵島姫命がダントツの美人だった

もし行かれる機会があったら、上のお姉さんお二人にも 忘れずにお祈りしてきて下さいね。
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- 雑記・日常
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三姉妹の
必ずと言っていい程
『器量良しで気立ても良い』
と云う設定になるのは何故かしら。
しかも日本に限らない気がする。