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無事に帰還いたしました(^-^)


・・・って、ほぼ一週間前の話ですけど
いや~、この数週間は 北海道ツアーも含めて、30年のミュージシャン人生の中でも屈指の強行軍でしたね★
全工程約2000km、10日間のうち コンサートが無かったのは、着いてすぐ稚内まで7時間半を走破した初日と 士幌から北広島へ移動した日だけ。
その日とて 余裕が出来て少し自由時間があったとか言う訳でもなく、搬入とリハーサルが比較的ゆっくり出来たかな、という程度でした
しかも明くる日は 早朝から学校公演を2件こなしたあと、夕方からガッツリ本公演という凄まじさ (^^;)
けだし、ミュージシャンは音楽性より体力ですね・・・
結局ゆっくり北海道を楽しむどころか、お土産を買いに行く暇もないほどのスケジュールで 千秋楽の函館公演まで怒涛のように突っ走りました

普通ならここで 「いや~、やっと終わったぜぃ」 と一息ついて帰阪するところですが・・・
今回はここからが更に大変な予定になってました
最終公演が終わったのが夕方4時前、すぐに僕一人だけ全ての個人的な撤収を済ませて 函館空港へダッシュ!
ツアー終了の余韻を味わうヒマもなく、挨拶もそこそこに 5時半過ぎの飛行機に飛び乗ってそのまま帰らなくてはならなかったんです。
実は 明くる日の28日月曜には、これまた朝から南大阪で アルカディアのイベントライブが入ってたりしたんですね~コレが。
以前にもお世話になった岸和田の古刹、久米田寺明王院での法要LIVEでした。
確かブログにも書いた記憶がありますね、須弥壇に上げて頂いて 仏様にお尻向けて演奏しなくちゃならないというシチュエーションの罰当たりライブ
お昼過ぎに終わってすぐ、今度は一路大阪の中心地へ走って 90分×3本のレッスンが待っていました。

勿論身体も当たり前にしんどいですし 第一ちゃんと予定通り飛行機に乗れる保証もなかったんですから、断りゃ良かったようなもんですが・・・
久米田寺明王院の御住職と奥様には何かとお世話になっていますし、午後イチからのケーナレッスンと体験講座3件も 日程的に移動できませんでしたので、帰らない訳にもいかず★
結局 函館の明くる日も、朝から夜の8時過ぎまで びっちりオシゴトしておりました (--;)
お陰様で身体だけは丈夫に出来ていますので、思ったほどの消耗ではありませんでしたが・・・
松村組のステージとアルカディアでは、同じ楽器を使うとは言え 全くジャンルの違う音楽ですので、一夜にして頭を切り替える方が よっぽどタイヘンでした。
久しぶりにロベルトとのステージでしたので 彼の曲バージョンをすっかり忘れていたり
(実は同じコンドルや花祭りでも、他のケーナ奏者の時とは 微妙に違う伴奏をしなければならなかったりするんです)

次の日からもずっと関西各地でのレッスンなどが続いておりますが、ようやく今度の日曜日だけは 一息つけることになりそうです。
7月や8月なんて どうしようかと思う程ヒマだったんだから、もうちょっと分散してくれりゃいいのに・・・(T-T)

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仕事・舞台

北の大地、爆走中!

先週の金曜日から始まった、和太鼓松村組の北海道ツアー。
今年は20周年の記念ツアーということもあって、いつにも増してパワフルな演奏内容とスケジュールで 連日頑張っております (^-^)

まぁ北海道の広さは、もしかしたら在住でもあまり移動したことのない方より身をもって知ってるかも、なんですが…
何せツアーもめでたく4年目を迎え、公演箇所も毎年違いますが ほぼ北海道全域に亘りますので…その総移動距離たるや1万kmを超えようかという大キャラバンです☆

一回のツアーで軽く2000km以上を走破しますが、それがどの位かと言うと・・・青森から九州最南端の鹿児島ぐらい (^^;)
僕が学生時代 数年に分けて放浪していた南アメリカ大陸に例えると、4年分の距離は ちょうど南極に近いアルゼンチンの一番南から赤道を超えてメキシコあたりまで、アンデス山脈を縦断して走った計算になりますね★
やはりトンデモナイ広さです

今回は到着してイキナリ7時間半走り、日本最北端の街 稚内の公演から始まりました。
フェリーでもう少し行けばロシアですが・・・

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明くる日が5時間の移動で旭川、そして赤平公演を経て十勝平野の士幌まで来ています。
北海道は何処の街へ行っても、演奏を聴いて涙ぐむほど感動して下さる方が多いので―――これは本当に演奏家冥利に尽きますね☆
しかしこの広さだけは・・・如何ともし難い

毎度の事で少し慣れたとはいえ、2時間の本公演を終えてすぐ撤収と何時間もの移動、また設営して公演の繰り返しだけで日々が過ぎてゆくのは 体力的にも精神的にも、かなりキツいものがあります
最終の函館まで、まだ700kmぐらいあるんだし。
でも各地での懐かしい風景や人との出会い、お客さんの喜ぶ顔、そして北海道の大自然と美味しい食べ物が何よりのエネルギーになって、続けられるんですよね

学校の鑑賞会も入れてあと5公演。
う~む、気合い入れ直してガンバらねば
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仕事・舞台

コンドルは飛んでゆく

サイモン&ガーファンクルのアレンジで 1970年に世界的な大ヒットとなった曲、エル・コンドル・パサ。
元々はペルーで作られた、インカ帝国の栄枯盛衰を描いたサルスエラ (オペレッタ) で使われた曲でした。
ラストシーンで、インカ帝国の滅亡を嘆きながら コンドルに身を変じた皇帝が泣きながら飛び去ってゆく・・・
その時にバックで流れていた曲なので、全体的に少し哀しげなんですね
アンデス音楽フォルクローレと出逢ってから数十年、いったい何回この曲を演奏したことか (^^;)
現在でもコンサートでこれを演奏しないと 納得して帰して貰えないぐらい、人気の高い曲です。

アンデスに伝わる古い伝説によって、コンドルは皇帝の生まれ変わりである聖なる鳥として ずっと大切にされてきました。
少し前まで行われていた “鳥葬” の習慣も、少し納得がいくような気がします。

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いや~、かっくいいですね (^-^)
アンデスの抜けるような大空を 悠然と舞う姿は、まさに鳥類の王といった風情です。
実際 肉食でエモノを襲う猛禽類のなかでも最大のもので、時には羊やリャマの子供を掴んで そのまま飛び去ったりすることもあります。
通常は3000~4000mの高空を飛んでいますし、どのくらいデカいものなのか いまいちピンと来ませんが・・・
羽根を広げると4~5mにもなるサイズですので、ちょうど中型の犬が空を飛んでいるようなものでしょうか
そう言われても まだ想像はしにくいですね、人間と比べるとこんな感じになります。

CONDOR2.jpg

これでもまだ最大クラスではありませんので・・・
わはは、とんでもないヤツだ (^^;)

各地の学校公演などでも コンドルの話はしますし、何とか子供達にも その大きさを実感して貰えたらなぁ・・・
なんて常々考えていたのですが、大きな写真やプロジェクターを 体育館などで毎回使って、というわけにも行きません
そこで あちこち探してやっと手に入れたのが、70cmに迫ろうかという長さの コンドルの風切り羽根。
たまに道端に落ちている、ハトやカラスの羽根と大きさを比べて頂けると 判り易いかと☆

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バックにあるのは 勿論チャランゴじゃありません、普通サイズのギターです。
こんなのが空を飛んでいるなんて・・・やっぱり とんでもないヤツですね
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南米・遺跡

夏の終わりに

朝晩だいぶ涼しくなって ようやく過ごし易い時候になってきましたね (^-^)
幼い頃から秋が一番好きな季節ですので、このところ毎年 ずっと暑さが続いてたと思ったらいきなり冬じゃん★みたいな展開ばかりで 少し寂しく思っていました。
隣が古いお寺で裏が神社のお山という 自然一杯の我が家の周りでも、日暮れから明け方まで秋の虫の大合唱が始まって 夏が一気に終わりを迎えようとしています
ツヅレサセなど数種類のコオロギから松虫・鈴虫・カネタタキ・クサヒバリと 毎晩聞き分けながら眠るのは、20数年前にこの地へ越してきてから 有難い事にずっと変わらない贅沢ですね

昼間はまだ怒涛のようなセミの大合唱が続いていますが・・・まさに 「蝉時雨」 という美しい言葉通りに、降り注いでくる印象です。
やはり神社の森が守ってくれているのでしょうね、子供の頃に田舎で聞いていたミンミンゼミやヒグラシも このあたりではまだ普通に鳴いています。
ちょっと切ないのは、夏の終わりに近づくと セミたちの鳴き方も少しずつ変わってくること。
せわしないというか、何やら切羽詰った感じが伝わってくるんですね
まるで、地上に出てからの短い残り時間を知っているような・・・
ずっと鳴き続けで体力も消耗して 最後の方にはだんだんしゃがれたような元気のない声になってくるんですが、それでもまだ必死に鳴いているのも 何だか切ないです

今の時期、一番沢山鳴いているのは ツクツクホウシですね☆
小学生の頃、夏休みの終わりになっても 工作と絵日記だけはいつも出来ていなかったので、あの声を聴くと 条件反射で今だに少し焦りを覚えてしまったりなんかしますが (^^;)
何種類も居るセミの中で、何故ツクツクホウシだけが あんな鳴き方をするんだろう、と 子供の頃から不思議でしょうがありませんでした。
ひとまとめにセミと呼ばれてはいますが、もしかしたら虫としての根本的な種類が違うんじゃなかろうか、という位 他とは違います。
ひとことで言えば、飛びぬけて音楽的素養を持った虫なんですよね
他の虫は、コオロギなども含めて 殆ど単調な繰り返しに終止しています。
リリリ、スイッチョン、ミーンミーン、カナカナ、ジジジ・・・など。
しかしアイツだけは明らかに違って、一連の完成された曲のような鳴き方をするんです。

まず、ツクツクツク・・・と長目の前奏から入って、ちょっとリタルダンドしたあと 勿体をつけて 『ホーーシィ』 と主題に入る。
この入り方、まさにベートーベンの交響曲第5番 田園の主題の導入と同じです (^^;)
「ツクツク」 と 「ホーシ」 の音程差、音色の差とグリッサンドも芸が細かいところですが、最後の方はどんどんアッチェルしてリズムが変わっていくのも 他の虫には無い特徴ですね
更に凄いのは、繰り返すたびにアッチェルして盛り上がりを見せたあと・・・「終わるぞ」 という合図を入れる部分。
最後の1回だけ 「ツクツク・シー」 と鳴いて、新たな中間音程を取り入れた斬新なエンディングテーマ、「ツクツク・シーヨース」 に入っていきます。
主題の一部だけを残した終曲変奏という、心憎い演出です☆
エンディングの回数には若干の個人差(?)があるようですが、2回~5回その鳴き方をしてから一気に音程を下げて 「ジ~~」 で締めるんです。
しかも注意深く聴いていると、一匹が鳴いている途中に 他の蝉が定期的に合いの手を入れたりもするんですよね
いや、もう只の虫とは思えない素晴らしさ

・・・と、他の人にも機会があるたびに力説してるんですが―――同意どころか、あんまし興味を持って貰えないです (^^;)
う~ん、ちょっと感動するくらい スゴいと思うんだけどなぁ
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自然・季節

ヒロシマ原爆の日

昭和20年8月6日 午前8時15分。
広島の中心地に人類史上初めての核爆弾が投下されてから 70年が経ちました。
もちろん僕はまだ生まれていませんでしたし、実際の被害どころか 戦争の何たるかすら知りません。
でも考えてみれば 非常に微妙な年代であると言えなくもないんです

僕が生まれたのは日本が高度成長期に向かう 平和な時代であるとは言え、終戦から僅か13年しか経っていません★
13年前といえば本当に 『ついこの間』 の話ですし、実際僕が小さい頃には阪急電車の駅前で 傷痍軍人の方が物乞いに身を窶しておられる姿がまだ見られました。
ボロボロの軍服を着た片足の無い人が 松葉杖を脇に置いて道行く人に土下座をしている姿は、子供だった僕には気味の悪い存在でしかありませんでしたが・・・
今になって思うと 何と酷い話なんだろう、と心が痛くなります
昨年無くなった父も たまたま学徒出陣の年齢には達していなかったというだけの話で、もう少し戦争が長引けば 南太平洋でアメリカの艦船に突っ込んでいたかも知れません。
そうなれば当然 僕も存在しなかった訳ですから、過去の戦争と言うには余りに身近に思えてしまうんですね。
少年キングとか少年ジャンプなどのマンガ雑誌も 平和の象徴のように全盛期を迎えていましたが、ギャグ漫画と肩を並べていたのは 「ゼロ戦隼人」 や 「紫電改のタカ」 といった戦争ヒーロー物でした。
今なら “歴史の歪曲、戦争礼賛である” と韓国や中国が言い出す前に 発禁処分になるところですが・・・

もうひとつ 身近に思えてしまう大きな要因は、渡部家の墓が広島の中心部にあるということかも知れません。
以前にも一度ブログに上げましたが、爆心地の原爆ドームから歩いて数分と言う場所にありますので 熱線と爆風で墓石がボロボロの状態でした
検事であった祖父は 日本中を点々とする生活を送っていましたので、幸い―――というと何ですが 当時広島には居なかったんですね。
今でも墓参りで広島に赴くたび、街中を流れる涼しげな川が 全身焼け爛れながら水を求める人々や、累々たる死体で埋め尽くされていた事に思いを馳せてしまいます。
具体的に何を知っているわけでもありませんが、美しく整備された広島の街は 僕にとって死というものと直結した場所なんです。

原爆ドームに隣接した平和記念公園の中心には、こう書かれた石碑が立っています。
『安らかに眠ってください、過ちは繰り返しませんから』
一時はこの文章の主語を巡って 論争が巻き起こったこともありますね。
禁断の兵器、原爆を使ってこの事態を引き起こしたのはアメリカじゃないか、と言いたい人も中には居るのでしょうけど・・・
確かに戦争末期、アメリカも人間として正常な判断力を失っていた事は確かでしょう。
一瞬で14万人の命を奪ってしまう まさに悪魔の兵器と呼べる爆弾の使用を実行したばかりでなく、広島ではウラン型・長崎ではプルトニウム型で威力を試すという 究極の人体実験までやってしまったんですから。

でも日本だって―――実はその原爆を作ろうと必死になっていたんですよね★
単に研究開発で遅れを取っただけで、日本の方が早ければ使っていたのはこちらの方かも知れないという事実は あまり語られてきませんでした。
当時原爆の研究を任されていたのは 理化学研究所。
あの理系女子の小保方さんだって、世が世ならアメリカ市民の上に落とす原爆の研究をしていたかも知れないんです。
実際に計画があったわけでは勿論ありませんが、当時世界最大・最先端の潜水空母 “伊400” 搭載の特殊攻撃機 『晴嵐』 に もし配備されていれば、決して有り得ない話ではありませんでした。
超巨大潜水艦 伊400は実際にアメリカ西海岸を砲撃できた唯一の艦船でしたし、パナマ運河を破壊するという極秘計画とその能力もありましたから。
要は経済的な物量と時間の差でしかなかった訳ですね

長々と書いてしまいましたが・・・
今日8月6日は、原爆の犠牲者を悼む日でもなく 悪魔の兵器を使用したアメリカを責める日でもなく、単純に戦争反対を叫ぶ日でもありません。
人間というものが如何に儚く愚かで 過ちを繰り返してしまう危険性を持った存在なのか、世界中で改めて認識すべき日なのだと思います。
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文化・歴史

カリブ海の真珠 【2】

見事な大逆転で人民開放革命をやってのけたフィデルとチェでしたが、その後の国家再建には 茨の道が待っていました。
主要な産業も確立されていない状態で 国民を養っていかねばならないのですから、そりゃ大変なんてもんじゃありません
おまけに独立以来、アメリカ資本主義の庇護の下でとはいえ 何とか国家体制を維持してきたバチスタ政権を、その手で倒してしまったんですから・・・
つまりはアメリカ合衆国にも真っ向からケンカを売ってしまった格好で、莫大なお金が必要となる局面なのに 国際的にも孤立無援状態になってしまいます★
そこで手を差し伸べたのが、当時はまだアメリカと冷戦状態にあったソヴィエト連邦。
破格の安い値段で石油を提供し、サトウキビなどの農作物も高額で買い取るという この願ってもない条件を、キューバは社会主義体制国家になる事と引き換えに受諾してしまいます。
フィデルもチェも、最初から社会主義国家を目指していた訳ではないんです

これで国家体制は一応の安定を見せ、医療や教育・福祉などの充実にも理想と言われるほどの成功を果たします。
ソ連にしてみればもちろん親切心などではなく 素晴らしい社会主義体制をアメリカに見せ付けるチャンス、言わば目の前に豪華なショーケースを作りたかっただけの話なんですけどね。

当然ながら 面白くないのはアメリカ合衆国★
今まで散々支援してきた中南米支配の拠点を失った上に、一番近い場所―――まさに裏庭に社会主義国家が出来るなど、許せるものではありません。
中南米諸国への経済制裁の見せしめと対ソ連の牽制手段として 国交を断絶したばかりか、裏ではCIAが物騒な暗躍をすることになってゆきます。(尤も、このフィデル暗殺計画は 悉く失敗に終わりましたが)
つまりキューバは ベトナムや朝鮮半島と同じで、アメリカとソ連の覇権争いに利用されただけでした。
その睨み合いがピークに達したのが、全世界を震撼させた キューバ危機だった訳ですね。
幸いにして核戦争の勃発だけは回避されましたが、あそこまで一触即発状態になったのは 人類史上初めてのことでした。

月日が経ちソ連社会主義は崩壊、東西冷戦という単語が過去のものになってからも キューバとの国交断絶と経済制裁は続きます。
日本のメディアでは報じられないので 殆ど知られていないのですが、同じ社会主義国家という立場で ソ連に変わって中南米への経済支援、武器供与などを継続的に行ってきたのは 実は中国なんです
過去には北朝鮮も、キューバに弾薬などの提供を行っていたことがあるんですが・・・中国はケタが違います。
ここ10年ほど中南米各国に無償の資金提供を続け、実効支配を強める傍ら つい最近キューバには石油と資金を援助する代わりに ミサイル搭載艦を常駐させる交渉までしていました。
オバマさんが慌てて国交正常化に向けた動きを見せ始めたのも、ちょうどその頃です。
大統領としての任期終了が迫る中でのレジェンド(実績)作りだと言われていますが、裏にはそんな事情もあった訳ですね★
誰が考えても、第二のキューバ危機になるのは目に見えていますから・・・

大国同士の勢力争いに利用されて巻き込まれ、その国の歴史まで変わってしまう。
古代から世界中で繰り返されてきた構図ですが・・・人間ってヤツはまったく、少しも進歩していないんですね~。
これは決して他人事じゃありません、敗戦後の日本が奇跡的な復興と発展を遂げられたのも 言ってみればアメリカ資本のお陰。
日本はソ連の目の前に飾られた、アメリカのショーケースでしかなかったのかも知れないんですから

世界中あちこちで紛争に首を突っ込むことに懲りたアメリカも、中国の横暴や今の国際情勢を受けて 再び目立つ外交に動き出さざるを得ませんでした。
まぁハッキリ言って、日本の安全とか拉致問題なんかは アメリカにとってどーでもいい事なんですよ。
北朝鮮との国交ですら、日本の意向は無視して 回復させる方向へ進む可能性が出てきてるんですから・・・
そんな中で 不自然に急がれている安保法案―――対中国でアメリカと日本の利害が一致しているうちはいいですが、各国の出方次第では 日本は確実に置いてけぼり、ヘタすりゃアメリカと中国 両方の踏み台にされちゃう事態だって考えられます。

何処か立場の似ているキューバと日本・・・既に遠いカリブ海のニュースでは済まなくなってきているのかも知れません★
今こそ、中南米諸国との絆が最重要課題になってくる! と思ったりもするんですケドね (-.-;)

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文化・歴史